富や幸運をつかさどるギリシャ神話のヘルメスには、神々の使者という顔もある。遠い昔、人間界が神界と交信する際、神々の言葉を伝えたのがヘルメスだった。伝令、通訳。平たく言えばそうなるが、帯びた任務は重大である。
ヘルメス(Hermēs)ギリシャ神話で、
▼海外の文学作品を自国の言葉で紹介する翻訳の仕事は、「現代のヘルメス」だろう。広く読まれている名作は、優れた翻訳を抜きには語れない。明治生まれの仏文学者、内藤濯(あろう)氏はその作品の序文に胸を揺さぶられ、日本語訳を引き受けたという。
▼<おとなは、だれも、はじめは子どもだった>。サンテグジュペリ作『星の王子さま』である。わが国で最も読まれているのは、「内藤濯訳」だろう。原題は『ル・プチ・プランス(小さな王子)』という。邦題を『星の―』に変えて読者に届けたのは、内藤氏の発案だった。
▼「かんじんなことは、目には見えない」「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ」。大事なものを忘れた大人たちの胸に、王子の台詞(せりふ)は時代を超えて突き刺さるのだ。それは王子の言葉であり、内藤氏の言葉でもあるのだろう。
▼「私のふるさとは、私の子供時代である」とサンテグジュペリは言った。いまでは数多くの日本語訳が出版され、作品の魅力もさまざまに語られる。初めに内藤氏という〝ヘルメス〟を得たことは、作家にとって、日本の読者にとって、幸運な巡り合わせと言えるかもしれない。
▼飛行士でもあった作家は第二次大戦中の1944年7月31日、地中海上空を偵察飛行中に消息を絶ち、機体の残骸が数十年の後に海中で見つかった。物語の「王子」をなぞるように姿を消してからきょうで80年。内藤氏の訳が世に出てからもすでに71年がたつ。