先の大戦で南方に進出した日本軍は、暑さと飢え、マラリアやデング熱などの病とも闘わねばならなかった。もう一つ、軍の行動を妨げたのが「寒さ」だという。ニューギニアの戦線には、赤道の近くにもかかわらず雪があった。
▼同国の東部を東西に走るサラワケット山系である。要衝の防衛戦に敗れた陸海部隊が、分かれて退却行を始めたのは昭和18年9月だった。標高3000~4000メートル級の峰が連なる難関を8千以上の人々が越えようとしたが、行軍は難渋を極めた。
▼飢えや病が体をむしばみ、寒さが追い打ちをかける。高度とともに息を引き取る人が増え、凍死も少なくなかった。<既に乏しき我(わ)が糧に/木の芽草の根補いつ/友にすすむる一夜(ひとよさ)は/サラワケットの月寒し>。難行軍の主体となった第五十一師団で歌われた軍歌の一節という。
▼少なくとも1千人以上が、サラワケットの山越えで命を落としている。ニューギニアでの戦没者は約12万7600人、その多くは戦闘以外で亡くなった。わが国の行く末を案じ、銃後の人々を思い、郷里の山河をまなうらに描き逝った人々である。
▼小欄は先月、「みたままつり」のさなかに靖国神社で昇殿参拝し、「みたま安かれ」と祈りを捧(ささ)げた。80年前の、はるか南方の「寒夜」に思いをはせたのは、本殿でひんやりとした空気を肌に覚えたからである。森閑とした領域には、俗世と明らかに異なる時間が流れていた。
▼「守られている、という感覚を持ち帰りたいものです」。参拝に同行した方から言われ、背筋が伸びる。自衛隊と日米同盟、そして英霊にわが国の「戦後」は守られている。そのことに思いを致し、厳かな心持ちで本殿からさがった。今年も8月15日が近い。