(残響 78年後の「戦争」:4)抜け殻だった父、心の傷いま知った 戦場体験、子ども・孫も苦しむ

 

2023年8月15日 5時00分

 1本のホームビデオを再生すると、白髪の男性が映し出された。

 「おじいちゃん、ピースしてくれ。早くしてくれよう」。幼い孫からのお願いに、男性は無言で目をそらした。

 黒井秋夫さん(74)=東京都武蔵村山市=の父・慶次郎さんの晩年の姿だ。「無気力で、いるかいないかも分からないようなおやじでした」。もはや「抜け殻」と呼ぶしかないような人間だった、という。

 黒井さんは山形県庄内地方の小さな村で生まれ育った。両親と兄、弟の5人家族。中国戦線からの復員兵だった父は、定職に就かず、日雇いの現場を渡り歩いた。一家の生活は苦しかった。

 異様だったのは、父が家族とさえ口をきかなかったことだ。いつも悲しげな困惑の表情で黙り込み、笑顔など見せたこともなかった。

 「あんな男にはなるまい」。黒井さんはその一心で、生きてきた。

 父は晩年まで、家にひきこもった。1990年に77歳で亡くなった時、黒井さんは涙一つこぼれなかった。父の存在を忘れ去り、年月が流れた。

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 転機は突然訪れた。

 2015年、ベトナム戦争からの帰還兵のドキュメンタリー番組を見た。

 四つの勲章を手にしたアレン・ネルソン氏(故人)は帰国後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩む。戦場の悪夢を毎晩見て、家族を怒鳴りつけた。

 突然、黒井さんの脳裏に父の顔が浮かんだ。「戦場は地獄だ」。そう語る帰還兵のまなざしが、父の暗く、悲しげな目と重なった。

 実家からアルバムや軍歴を取り寄せ、初めて戦中の足跡をたどった。

 二等兵から軍曹まで昇進し、優秀な兵士の証しである「善行証書」を受けていた。旧満州では「匪賊(ひぞく)討伐」に従事したと記録されていた。過酷な対ゲリラ戦に関わっていたことを知った。

 父と同時期に同じ中隊にいた初年兵の手記には、無抵抗の中国人捕虜を銃剣で突き殺す「刺突(しとつ)訓練」の記述があった。

 《相手はチャンコロ(中国人の差別表現)じゃねえか。オレは世界一優秀な大和民族なんだ。一人や二人、いや、国のためならもっと殺せる》

 残虐さから目を背け、自らの行為を正しいと思い込もうとする心の内がつづられていた。「父も同じことをやって、苦しんだんだろう」

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 黒井さんは18年、「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を立ち上げた。心に傷を負い、変わってしまった復員兵はどこにでもいると確信していた。

 「父は戦後、『兵隊ボケ』と言われた」「酒浸りだった」。そんな話をする人が、ぽつりぽつりと集まってきた。

 「過酷な戦場体験が、おやじたちを廃人にした。その苦しみは、何年たっても子や孫の精神をさいなんでいる」

 虐待を受けたという証言も少なくなかった。復員兵から子へ、孫へ。戦争の爪痕はまだ、社会から消え去ってはいない。(後藤遼太)