自分の外界で発生する奇怪な事件・事故というのは、自己の写し鏡でしてね。
総じて、自らが愚かだから。
自らの失態を他に責任転嫁して、己の業の深さを知らしめる。
それが人生の醜態でもあり、抑々、人生というのは、華々しい道程でもなく、醜態を繰り広げることで、己の不足した、魂の箇所を拾い上げ、自らの体験は血肉と化して、己を知る旅。いえ、人間とは、何ぞや❓その本質に近いところを知らしめさせる、道化師としての憐れさ。それが、老いでもあり、人生は完成され、死を以って、総じて、個人の罪は払拭されるのかもしれないですね・・・。
冒険を人生でしたいのであれば、無学祖元という僧侶が北条時宗時代にいらっしゃいますけれど。
時宗は徳政令でしたっけ❓
幕藩体制の混乱を招き、北条家は傾き、鎌倉幕府は滅亡していくという、そういった、社會が傾いていく時代に無学祖元は生き抜き、今のご時世と近似しているご時世なのかもしれませんけれど・・・
では・・・💕