徒然なる儘に ・・・ ⑤

心機一転、新たにブログ再開です💕 雑談を書くことも多いですけれど・・・(主に、電子ゲーム・ネタ💕)、残りは【新聞記事】にコメントを入れています💕

春秋(7月28日) 2024年7月28日 0:00 [会員限定記事]

いまもそうかもしれないが、かつての日本人はパリに特別な目を向けていた。象徴の一つがセーヌ川だろう。夫鉄幹のあとを追い渡欧した与謝野晶子も、しばしば河畔を散策した。例えばこんな歌を詠んでいる。「セエヌ川船上る時見馴(な)れたる夕の橋のくらきむらさき」

▼半世紀余り後の開高健はちょっと辛口だ。戦地取材の合間、パリに立ち寄り好きな魚釣りに挑んだ。しかし釣果はさえない。ワインをラッパ飲みしながら同行者と毒づくのだ。「きたない川だね」「油もずいぶん浮いてるね」。五輪を前に水質改善を図ったそうだが、効果はどうだったか。画面越しでは判然としなかった。

▼国旗を振る選手を乗せた船がゆっくりと橋をくぐる。川面を舞台装置に使うという発想は斬新だ。未明、閉じかけた目を奪われた方もおられるのではないか。だが視線を転じれば、戦火は絶えず、選手の参加をめぐり意見が割れた。直前には高速鉄道を狙った破壊工作に肝を冷やした。よどみがちな「平和の祭典」である。

▼1964年の東京大会で、評論家の亀井勝一郎は開会式こそが「最も美しい瞬間であろう」と書いた。まだ勝者も敗者も決まっておらず、希望だけを抱いて集っているからだ。その瞬間があるからこそ、後に続く歓喜や涙が私たちの胸をうつのかもしれない。安穏を願いつつ、しばしかの地の熱戦に目を凝らすことにする。

 

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亀井勝一郎は何派に属しますか?
 
かめい‐かついち〔かめゐかついちろう〕【亀井勝一郎

はじめ、プロレタリア文学の理論家として活躍、のち、転向して日本浪曼派に属し、仏教思想・日本古典に傾き、倒された文明論で活躍した著書に「大和古寺風物誌」「わが精神の遍歴」「現代人の研究」など。