いまもそうかもしれないが、かつての日本人はパリに特別な目を向けていた。象徴の一つがセーヌ川だろう。夫鉄幹のあとを追い渡欧した与謝野晶子も、しばしば河畔を散策した。例えばこんな歌を詠んでいる。「セエヌ川船上る時見馴(な)れたる夕の橋のくらきむらさき」
▼半世紀余り後の開高健はちょっと辛口だ。戦地取材の合間、パリに立ち寄り好きな魚釣りに挑んだ。しかし釣果はさえない。ワインをラッパ飲みしながら同行者と毒づくのだ。「きたない川だね」「油もずいぶん浮いてるね」。五輪を前に水質改善を図ったそうだが、効果はどうだったか。画面越しでは判然としなかった。
▼国旗を振る選手を乗せた船がゆっくりと橋をくぐる。川面を舞台装置に使うという発想は斬新だ。未明、閉じかけた目を奪われた方もおられるのではないか。だが視線を転じれば、戦火は絶えず、選手の参加をめぐり意見が割れた。直前には高速鉄道を狙った破壊工作に肝を冷やした。よどみがちな「平和の祭典」である。
▼1964年の東京大会で、評論家の亀井勝一郎は開会式こそが「最も美しい瞬間であろう」と書いた。まだ勝者も敗者も決まっておらず、希望だけを抱いて集っているからだ。その瞬間があるからこそ、後に続く歓喜や涙が私たちの胸をうつのかもしれない。安穏を願いつつ、しばしかの地の熱戦に目を凝らすことにする。