徒然なる儘に ・・・ ⑤

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独自 パレスチナ和平へ国際会議を アッバス氏、ガザ統治の新政府構想語る ラマラ=高久潤 其山史晃2024年2月21日 12時00分

 パレスチナ自治政府のトップを務めるマフムード・アッバス議長(89)が20日朝日新聞との単独会見に応じた。イスラエル軍の侵攻が続くパレスチナ自治区ガザの戦後統治について、新たな実務型の政府を組織して自治政府が関与する意思を明確にした。米国やアラブ諸国と連携して、イスラエルとの包括的な和平計画の策定を進めていることも明かし、計画の実行に向けた国際会議の開催を提唱した。

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パレスチナをめぐる動き

 イスラエルの侵攻を受けるパレスチナ自治区ガザで激しい戦闘が続くなか、パレスチナ自治政府のトップ、マフムード・アッバス議長が朝日新聞との単独会見に応じました。ガザの今後への関与が取りざたされるパレスチナ自治政府とは、そもそも、どのような組織なのでしょうか。

 Q パレスチナとはどんな場所なのか。

 A パレスチナ地中海の東側の沿岸地域の名称(めいしょう)だ。2千年以上前にはユダヤ人の王国があったが、ローマ帝国(ていこく)に滅(ほろ)ぼされ、ユダヤ人は世界に散らばった。その後はアラブ人が多く住むようになったが、19世紀末には欧州(おうしゅう)で迫害(はくがい)されていたユダヤ人がこの地に移り住み、ユダヤ人の国家をつくる運動を始めた。

普通の政府との違いは

 Q パレスチナ難民とは?

 A 第2次世界大戦後の1947年、国連はパレスチナをアラブ人とユダヤ人で分ける決議をし、翌年にはユダヤ人がイスラエルの建国を宣言した。反発したアラブ諸国と戦争になり、パレスチナに住んでいたアラブ系住民(パレスチナ人)が故郷を追われて難民となった。国連は彼(かれ)らの子孫も難民と定義している。

 Q パレスチナ自治区とは。

 

 A ヨルダン川西岸とガザを指す。イスラエルは67年の戦争でいずれも占領(せんりょう)したが、そこで暮らすパレスチナ人たちは抵抗(ていこう)を続けた。その中心だったパレスチナ解放機構PLO)とイスラエルは93年、両地区をパレスチナ人の自治区とすることに合意した。この「オスロ合意」に基づき、パレスチナ自治政府が作られた。

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ホワイトハウスで1993年9月13日、イスラエルパレスチナ解放機構PLO)の和平協定調印後、握手するイスラエルのラビン首相(左)とPLOアラファト議長。中央はクリントン米大統領=ロイター

 Q 普通(ふつう)の政府と違(ちが)う?

 A 将来のパレスチナ国家を樹立するための当面の政府という位置づけで、軍隊はもっていないし、警察の武器の種類や数も制限されている。自治区内でも、イスラエルが治安や行政を担う区域もある。

 Q イスラエルは、なぜガザだけを攻撃(こうげき)しているのか。

 A もとは自治政府がガザを治めていたが、イスラム組織ハマス自治政府の主流派とけんか別れし、2007年から地元のガザを支配する。ハマスをテロ組織とするイスラエルはガザを封鎖(ふうさ)。住民が「天井のない監獄(かんごく)」と言われる生活を強いられるなか、ハマスが昨年10月7日にイスラエルを奇襲(きしゅう)した。イスラエルは「ハマスを壊滅(かいめつ)する」としており、戦闘終了(せんとうしゅうりょう)後のガザ統治を誰(だれ)がどう行うのかが、課題となっている。(其山史晃)

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2024年2月7日、パレスチナ自治区ラマラを訪問したブリンケン米国務長官(左)と握手するパレスチナ自治政府アッバス議長=AP

パレスチナをめぐる動き

1948年 イスラエル建国。第1次中東戦争で、多くのパレスチナ人が難民に

67年 第3次中東戦争イスラエルヨルダン川西岸やガザなどを占領

87年 第1次インティファーダ(対イスラエル民衆蜂起)。これを機にハマス創設

93年 イスラエルパレスチナ解放機構PLO)がオスロ合意を結ぶ

94年 パレスチナ自治政府が発足。95年には自治政府が西岸とガザを統治

2000年 第2次インティファーダ

05年 イスラエルがガザから撤退。その後は封鎖政策に

07年 ハマスガザ地区を制圧し、実効支配開始

14年 和平交渉が頓挫

22年 イスラエルでネタニヤフ氏が首相に復帰。史上最右翼とされる連立政権発足

23年 ハマスイスラエルに奇襲。イスラエル軍がガザ侵攻

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戦後のガザ地区統治への姿勢

 

 昨年10月にガザで戦闘が始まって以降、アッバス氏が日本メディアの取材に答えたのは初めて。ヨルダン川西岸ラマラの議長府で会見したアッバス氏は、ガザへの攻撃を「イスラエル軍による現在進行中のジェノサイド(集団殺害)だ」と非難した。一方で、「この悲劇を終わらせ、(パレスチナ国家の樹立を前提とする)2国家解決を実現する真の機会が目前にある」と強調した。

 オスロ合意に基づき1994年に発足した自治政府ヨルダン川西岸とガザを統治していたが、ガザは2007年からイスラム組織ハマスに実効支配されている。昨年10月にハマスの奇襲を受けたイスラエルは「ハマスの壊滅」を目標としてガザ侵攻を続けている。

米国に批判と期待語る

 

 ガザの戦後統治をめぐっては、米欧やアラブ諸国の間に自治政府の関与を有力視する見方があるものの、イスラエルは否定的だ。自治政府では06年以降に選挙が実施されておらず、汚職などの問題点も指摘されてきた。バイデン米大統領は昨年11月、西岸とガザは「再活性化した自治政府」のもとで統合されるべきだとの考えを発表していた。

 アッバス氏は「自治政府はガザを離れたわけではない」として、今もガザ市民の暮らしに責任があると説明。今後については、「ガザ、西岸でインフラの再整備や治安確保を担える有能なパレスチナ人による実務型政府(technocratic government)を新たに組織する」とした。

 実務型政府のあり方やガザの復興、選挙の実施などは、米国やアラブ諸国と検討を進める「包括和平計画」で検討されている。この計画にはパレスチナの内政だけでなく、外国政府によるパレスチナ国家の承認や、西岸やガザでのイスラエル軍の占領終了の具体的なスケジュールなどもセットで盛り込まれる見通しという。

 アッバス氏は包括和平計画を実行するための国際会議の開催を提唱。「パレスチナが国連の正式加盟国となり、欧州諸国や日本から国家承認を受けた上で国際会議に臨むことにより、パレスチナの人々は自由と独立を享受し、イスラエルと平和共存できる」と主張した。

 イスラエルの後ろ盾となりつつ、包括和平計画にも関わっているバイデン政権について、アッバス氏は「自衛を口実としたイスラエルパレスチナ人に対する侵攻を止める責任を果たさなかった」と批判した。しかし、バイデン政権が2国家解決を目指す声明を出してきたことを評価し、「イスラエル当局に政治プロセスや国際的に正当な決議を守らせるようにする必要がある」と訴えた。

 また、アッバス氏は日本によるパレスチナ国家の承認と国際会議への参加に期待を示し、「国際法に基づく政治解決への支持と、パレスチナへの経済的支援に感謝する」と、日本の対応に謝意を示した。(ラマラ=高久潤、其山史晃)

マフムード・アッバス

 1935年、現イスラエル北部サファド生まれ。48年、第1次中東戦争で難民となりシリアへ。ダマスカス大やロシアの大学院で学んだ。2004年、パレスチナ解放機構PLO)のアラファト議長の死後、議長に就任。05年、パレスチナ自治政府議長(大統領に相当)に選ばれた。

 学究肌で、仕事熱心と評される。イスラエルの閣僚ともパイプを持つとされるが、アラファト氏のようなカリスマ性はなく、イスラエルとの和平交渉も頓挫。市民からの支持は伸び悩んでいる。

エルサレム=高久潤

 

【動画】イスラエルハマス、なぜ対立しているの?60秒で解説

 パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスが7日、イスラエルに大規模な攻撃を仕掛け、両者の軍事衝突に発展しています。イスラエルパレスチナはいつから、どのような理由で対立しているのでしょうか。

 Q イスラエルパレスチナは、なぜ対立しているのか。

 A イスラエルは1948年に建国された。欧州(おうしゅう)などで迫害(はくがい)されたユダヤ人が、祖先の土地に国をつくる運動を始め、移住した場所がパレスチナだった。建国に伴(ともな)い、パレスチナ人(アラブ人)は故郷を追われた。反発するパレスチナ人をアラブ諸国も支援(しえん)し、イスラエルとの戦争が繰(く)り返された。パレスチナ民衆によるインティファーダ(対イスラエル蜂起(ほうき))でも、双方に多数の犠牲(ぎせい)者が出た。

 Q 今回のハマスの攻撃(こうげき)が、第4次中東戦争と重ねられている理由は。

 A 第4次中東戦争は73年10月6日、エジプトシリアによる奇襲(きしゅう)で始まった。イスラエルユダヤ教の祭日中で、不意打ちにあって劣勢(れっせい)を強いられた。反撃に転じて約1カ月で停戦に持ちこんだが、緒戦(しょせん)で辛酸(しんさん)をなめた記憶(きおく)はイスラエル国民の間で語りつがれている。

 今回の攻撃は、50年前とほぼ同時期の祭日に起き、イスラエルが兆候を察知できていなかった点で通じる部分がある。ただ、占領(せんりょう)したパレスチナを監視(かんし)下に置きながら「奇襲」を受けたことは衝撃(しょうげき)をもって受け止められている。

 Q 両者が和平を試みたことはあったのか。

 A 93年、イスラエル政府とパレスチナ解放機構PLO)は、仲介(ちゅうかい)したノルウェーの首都オスロでの協議を経て、米ワシントンのホワイトハウスで「オスロ合意」に調印した。イスラエルと、独立したパレスチナ国家が共存する「2国家解決」を目指すという方向性が打ち出された。

 ただ、パレスチナ人が住んでいた土地にユダヤ人が力ずくで住宅などを建設してしまう入植の問題や、双方が首都と主張する聖地エルサレムの帰属など、難しい課題は「将来の交渉(こうしょう)」に委ねられた。

 Q 交渉に進展は?

 A 双方による襲撃事件や軍事衝突が後を絶たず、破綻(はたん)してしまった。パレスチナ自治区は、パレスチナ自治政府が治めるヨルダン川西岸地区と、ハマスが実効支配するガザ地区に分裂(ぶんれつ)。ハマスイスラエルの存在を不正とし、自治政府の主流派ファタハとは一線を画して武装闘争(とうそう)を重視する。イスラエルは2007年にガザを封鎖(ふうさ)した。米国が仲介する和平交渉も14年から中断している。

 近年は、パレスチナを支援してきたアラブ諸国イスラエルの関係改善が進んでいた。パレスチナ問題が置き去りにされ、ハマスは不満をつのらせていたとみられる。エルサレム=高久潤

     ◇

イスラエルパレスチナの対立をめぐる主な経緯

1948年 イスラエル建国。第1次中東戦争

73年 第4次中東戦争

93年 イスラエル政府とパレスチナ解放機構PLO)がオスロ合意を結ぶ

95年 イスラエルのラビン首相暗殺

2000年 第2次インティファーダ(対イスラエル民衆蜂起)

02年 イスラエル分離壁の建設を開始

05年 イスラエルがガザから撤退。その後、封鎖政策を実施

14年 米国仲介の和平交渉が頓挫。イスラエル軍がガザを攻撃

20年 米国仲介でイスラエルアラブ首長国連邦UAE)、バーレーンなどアラブ諸国との国交を正常化

21年 イスラエルハマスの大規模軍事衝突。11日間で270人以上が死亡

22年 イスラエルで史上最右翼とされるネタニヤフ政権発足

23年 対立してきたサウジアラビアとイランが中国の仲介で外交関係を正常化

櫻、怪獣じゃないもん💕