徒然なる儘に ・・・ ⑤

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(社説)戦闘機の輸出 平和国家の信用揺らぐ 2024年2月23日 5時00分

 殺傷能力のある兵器の輸出は、戦前の反省を踏まえ、平和国家として歩んできた日本への信用を揺るがしかねない。国民的議論も抜きに、期限を切って拙速に結論を出すことなど許されない。

 武器輸出緩和に向けた自民、公明両党の協議が再開された。焦点は、日本が英国、イタリアと共同開発する次期戦闘機を念頭に、国際共同開発した武器を日本が直接、第三国に輸出することを認めるかどうかだ。

 岸田政権は昨年末、自公の提言を受ける形で、「防衛装備移転三原則」と運用指針を改定し、限定的ながら、殺傷兵器の輸出に道を開いた。

 地対空ミサイル「パトリオット」など、日本企業が許可を得て生産した武器をライセンス元の国に輸出可能としたほか、「救難・輸送・警戒・監視・掃海」の5類型について、一定の殺傷兵器を搭載しての輸出を認めた。

 さらに、戦闘機という殺傷能力の高い兵器にまで対象を拡大するなら、国際紛争を助長する武器の輸出国にはならないという原則の一層の空洞化は避けられない。

 次期戦闘機の共同開発は一昨年末に発表され、昨年末には、事業を管理する国際機関を設立する条約に3カ国が署名した。日本にとっては航空自衛隊のF2戦闘機の後継になり、2035年の配備をめざしている。

 共同開発を決めた時点では、日本は完成品を第三国に輸出しない前提だったとされるが、自民党側は、日本からの輸出がなければ販路が限られ、全体の生産計画に支障が出るほか、開発体制などをめぐる交渉で日本が不利になるなどと主張している。

 政府は3月から作業分担などに関する話し合いが本格化するため、月内に結論を出すよう求めている。公明党山口那津男代表は「政府の方針が国民には届いていない」と述べた。わずか1週間で理解が得られるはずはないのだから、はやる自民党を抑える役割を果たすべきだ。

 今回の戦闘機に限って認める案も浮上しているという。しかし、一度道を開けば、他の共同開発品、さらには日本の単独開発品と、なし崩しに広がっていく恐れは否定できない。ここで立ち止まり、平和主義の原点に戻るべきだ。

 一昨年末の安保3文書の改定を受けた武器輸出の緩和は、与党の限られた議員による非公開の協議で進んでいる。国民に長年、受け入れられてきた原則を、国会など開かれた場での議論も経ずに変えるのは、民主主義のあり方としても見過ごせない。

 
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    白川優子
    国境なき医師団看護師)
    2024年2月23日15時24分 投稿
    【視点】

    武器産業は確かに経済を潤します。大国の軍需産業が戦争の持続を望んでいるなか、武器産業は日本にとっても経済生き残り戦略の大きな柱になりえることは事実で、日本政府はこの路線を何がなんでも推し進めていくように見えます。しかし、過去に犯した過ちの反省から戦争を放棄し、平和国家として歩んできた日本としては武器が引き起こすその先の現実を忘れてはなりません。武器輸出の先には、世界のどこかで暮らす人々の命と未来の破壊があります。自分の国が血だらけにならなければ日本としてはそれで良いのでしょうか。 看護師として世界の多くの紛争地で医療活動をしてきましたが、紛争地で怖いのは、空爆の振動でも銃撃の音でもありません。その空爆や銃撃で被害に遭った患者さんたちを目の当たりにした時です。老若男女、乳飲み子も妊婦さんも、とにかく私たちと同じ「人間」が血だらけになり、骨が砕け皮膚を突き破り、内臓が飛び出て、全身に破片が突き刺さり、もはや人間の原型をとどめていない姿さえあります。これが戦闘機輸出の行く末です。紛争地の医療現場は、血と涙と恐怖と叫び声まみれです。 日本にはかつて、「武器輸出三原則」があり、基本的には武器・兵器の輸出や国際共同開発は認めずに、平和国家として歩んできました。2014年の第2次安倍政権下で、いつのまにか「防衛装備移転三原則」というものが制定され、いつの間にか日本は武器が輸出できる国になっていました。私たち国民もその実態を知れば問題だと意識するでしょうが、「防衛装備移転」などという言葉は直接の殺傷兵器という印象を薄められる効果を持ち、国民の誰も気にすることもなく、平和国家からの大きな転換だったにもかかわらず、国民の関心をひかないまま進めることに政府は成功したかのように思います。私たち国民の関心の低さに政府から隙をつかれているのが現実ともいえるでしょう。 この記事は私たち国民に対し、実態を意識させるための警鐘だとも感じます。この武器産業への道は果たして日本にとって本当に正しいのかそれとも過ちなのか、まずは国民側でも議論し、積極的に声をあげていかなくてはいけないと思います。