徒然なる儘に ・・・ ⑤

心機一転、新たにブログ再開です💕 雑談を書くことも多いですけれど・・・(主に、電子ゲーム・ネタ💕)、残りは【新聞記事】にコメントを入れています💕

特別な能力に恵まれていても、「政治利用」の道具に過ぎない・・・・

◎フォン・ジョン・ノイマン博士 (推定知能指数 300) 天才だが・・・。(天才の定義は知能指数 160 以上)

 

まぁ、博士に興味・関心がおありであれば、氏の人生は公開されている(ネット等で)ので、参考にしてみては如何かと思われますけれど。

 

◎アイン・シュタイン博士(知能指数は知らないのだが、言語分野第三十二分野に異常があり、子供の頃から吃音が深刻だったそうだ)

 

因みに博士の次男が統合失調症患者であったとされ、自殺で最期を遂げられた。(詳細は博士の人生暴露本を読まれると参考になると思う)

 

博士の理論を応用したのが、特に軍事利用したのが、ロバート・オッペンハイマー博士(原子爆弾の開発・設計に携わった博士)とエドワード・テラー博士(水素爆弾の開発・設計に携わった博士)ですけれど・・・

 

まぁ、以前にこのブログでも紹介しましたけれど・・・。

 

1945年8月6日の広島県に於ける原子爆弾の投下では、そのB29はエノラ・ゲイ号で空中から落下した原子爆弾名が、リトル・ボーイなのですね。

 

1945年8月9日の長崎県に於ける原子爆弾の投下では、そのB29はボックス・カーで空中から落下した原子爆弾名が、ファットマンなのですね。

 

1954年3月1日にビキニ環礁沖で、水爆被曝なされたのが、日本の鮪漁船、第五福竜丸で、米国の水素爆発実験が契機となったのですね。

 

アイン・シュタインとバーランド・ラッセル博士との平和運動・・・

 

敗戦国日本に、二度の原子爆弾が投下された史実を知った、アイン・シュタイン博士は罪の重さに耐えかねたそうです。

 

桐蔭学園中等学校 α1組 (1980年当時、私立桐蔭学園中等学校では、能力別型クラス編成クラス組・席順を採用としており・・・。)(駿河台予備校を想定してくださいね)

 

推定知能指数160をを超える天才の学友が私にはいて、同じクラスだったのですけれど。

 

中等学校時には、書道の時間があって、その当時の書道の先生(弓納持先生)で、その天才は左利きだったのだけれど。弓納持先生が無理矢理、右利きに矯正しようとした結果、その天才は学業成績が常にトップだったが、次第に学業成績が不振に陥り、終には、桐蔭学園高等学校理数科受験に恐らく、失敗されてしまったと思う・・・。その天才学友が転校、若しくは、退学処分に陥っていなければ、中等学校時から高等学校理数科受験に於いては、内部生であれば、400人中50位以内であれば、合格できる学業成績の現実であったので・・・。私は恐らく25位で合格したらしい。(腰山先生、理数科A組担任教員に教えられました)

 

で、桐蔭学園中等学校時、三年間、トップクラスを死守できたのは、王尾君と石塚❓君と私だけで。

 

更に、桐蔭学園高等学校時、三年間は数学クラスは理数科なので、昇降人数外と特待生扱いでしたけれど。勿論、王尾君も石塚君も私も理数科に合格しているので、後は英語クラスが問題なわけですけれど・・・。

 

高等学校時には、数学クラス(理数科(A,B)組、普通科(α1,α2,β1,β2,β3,Γ1,Γ2)と9クラスは能力別クラス編成で構成されていて。

 

同じく高等学校時には、英語クラス(理数科に特待はない。理数科と普通科は合同で、能力別型クラス編成で、同じくα1 ~ Γ2 まで8段階構成クラス型、能力別クラス編成になっていた)

 

王尾君は三年間、英語クラスをトップのα1 を死守し

石塚君も三年間、英語クラスをトップのα1 を死守し、

私は、英語クラスは上から二番目のα2 クラスであった。

 

で、この三人の中で、東大合格を逃したのは、勿論、私だけで・・・。

 

その理由は高校一年の頃、妹が精神錯乱を発症し、パトカーと救急車が我が家に訪れない日は恐らく、なかったくらい、我が家は騒動だったのですね。

 

で、高3で私は家出をしてしまい・・・。

 

長くなるので、端折るが。

 

まぁ、慶大の合格発表日は、大喪の礼昭和天皇崩御で、国民が喪に服する日)でしたけれど。

 

後で、森教授(大学四年次での研究室の教授)の話に依ると、私は慶大にトップで合格していたけれど、卒業時は穴(けつ)から、30番目くらいだったそうですけれど。

 

赤塚氏は、慶大トップ合格で、トップで卒業していたか、と・・・。

高橋氏は、慶応高校から慶大理に進級した内進生で、慶大医を希望していたが、僅か、次点で、慶大理工に進学・進級されたらしい。慶大の成績、二位

 

どうも森研究室には謎があってですね。

 

特別に知能指数が高い学生を集めた研究室がどうも森研究室だったらしいのですけれど。

 

恐らく、森研究室で尤も、学業不振であったのは、わ・た・し💛

 

森研究室での卒業生がその後、どうなるのか、以前のブログで興味・関心があれば、お読みくださいね☆彡

 

じゃ