徒然なる儘に ・・・ ⑤

心機一転、新たにブログ再開です💕 雑談を書くことも多いですけれど・・・(主に、電子ゲーム・ネタ💕)、残りは【新聞記事】にコメントを入れています💕

(天声人語)子規とおはぎ 2023年9月23日 5時00分

〈餅の名や秋の彼岸は萩(はぎ)にこそ〉正岡子規。122年前の秋分の日、脊椎(せきつい)カリエスで病に伏していた子規は、おはぎを食べた。病床日記『仰臥(ぎょうが)漫録』には昼食に一、二個と間食で一つ食べたとある。間食の方は日刊紙「日本」の社長で子規の後見人だった陸羯南(くがかつなん)が持って来た▼自家製おはぎのお返しに、子規は菓子屋のおはぎを羯南に渡す。もらって贈って、「彼岸のとりやりは馬鹿なことなり」と楽しそうだ。〈お萩くばる彼岸の使(つかい)行き逢(あ)ひぬ〉の句も詠んだ。翌日と翌々日も食べたというおはぎは残りものか、看病する妹が買ってきたか▼翌年に亡くなった子規は痛みや吐き気に苦しみつつ食事をした。生死の狭間(はざま)で食べ続ける姿は鬼気迫るものがある。甘いおはぎは病床でも食べやすかっただろう。日記にはようかんや懐中汁粉なども登場し、和菓子を好んだのがわかる▼おはぎが庶民に広まったのは江戸時代とされるが、いまに通じる和菓子の歴史は室町時代にさかのぼる。茶の湯の引き立て役として、貴族の間で練り菓子や餅菓子などが洗練されたという(吉田菊次郎著『古今東西スイーツ物語』)▼以前に取材した茶道の家元は「良い菓子は茶席を助ける」と話した。魅力的な菓銘や形が、会話のきっかけになるという。奥が深い世界である▼彼岸に入り、おはぎを求めて近所の和菓子屋をのぞいた。栗きんとんに芋ようかん、かぼちゃの練り切り。暑くても、もう秋なのだと気づく。繊細な和菓子は、季節の到来も告げる。