お昼どき、たまたま目にした小さな定食屋に入った。何を注文しようかと考えていると、店長らしき年配の男性と、まだ10代ではないかと思えるアルバイトの若い女性の会話が聞こえてきた
▼「きょうのお薦めはサバだ。おめえ、鯖(さば)って漢字、書けねえだろ」。
店長は大きな声で言った。若者はのんびりとした調子で小さく答えた。
「いえ、書けます。スマホで調べますから」。しばらくして、壁にかかった品書きの黒板に、彼女はきれいな文字を記した
▼私はえっと驚いた。「お薦めメニュー 秋刀魚」と書かれていたからだ。女性は何げない表情で仕事を続けている。わざと、書いたのかな。そう思うと、ちょっと愉快な気分になり、やがて、少し切なくなった
▼よし、今夜はサンマを食べよう。思い立って、帰宅途中にスーパーに寄った。時間が遅かったせいか、食品棚にはパック入りのサンマが、ぽつんと1匹だけ。
〈さんま、さんま、/さんま苦いか塩つぱいか〉。
の詩が脳裏に流れた
▼秋はさみしい。何を聞いても、何を見ても、どこか寂しい気持ちになる。
〈古(いにしえ)より秋に逢(あ)えば 寂寥(せきりょう)を悲しむ〉。
1200年も前の唐代の詩人、劉禹錫(りゅううしゃく)もうたっている。ひととは元来、そんなものか
▼〈晴空(せいくう) 一鶴(いっかく) 雲を排して上り〉
と詩人は続けた。秋の空に、1羽の鶴がすっと上っていく様を思い描く。
〈便(すなわ)ち詩情を引きて碧霄(へきしょう)に到(いた)る〉。
詩情とは感じるままを詩にしたいと思う気持ち、碧霄とは限りなく碧(あお)い空のことである。