徒然なる儘に ・・・ ⑤

心機一転、新たにブログ再開です💕 雑談を書くことも多いですけれど・・・(主に、電子ゲーム・ネタ💕)、残りは【新聞記事】にコメントを入れています💕

五濁惡世とは❓

末世末法の世。五つの汚れに満ちた悪い世の意。▽仏教語。「五濁」は五つの汚れ。劫濁こうじょく時代の汚れ。以下の四濁の起こる時代)・煩悩濁ぼんのうじょく(貪むさぼりや怒りなど人の浅ましさがはびこる)・衆生しゅじょうじょく心身が弱く苦しみが多く、人の資質低下する)・見濁けんじょく(誤った悪い思想・考え)・命濁みょうじょく寿命が短くなり、最後には十歳になる)をいう。
出典
法華経ほけきょう』方便品ほうべんぼん

 

 

先週の日曜日(2023 - 11 - 20 (日)午前8時半から神奈川テレビで放映) 恐らく、プロテスタントの教会だと想うのだけれど。

 

ライフ・ラインという番組を毎週日曜日 午前八時半から午前九時まで神奈川テレビで放映しているので、録画ついでに、放映中も視ようと、テレビのチャンネルを換えた瞬間、ライフ・ラインのテレビ・報道では、「8:53 ⇒ 8:54」だったのですね。

 

その時、牧師さんだと想われる人が、

 

基督は、十字架に付けられることで、我々に愛を教えに成られたのです。

 

その時、私は93年次の過去が走馬灯のように思い出された・・・。

 

あの忌々しい、山田荘一氏(現:コマツ川崎OB会会長)からの日常的に続く、面罵や罵倒で、心身のバランスを崩していく、我の姿を想起せずにはいられなかった・・・。

 

山田氏を私の上司としたのは、繰り返すようだが、小山工場総務部総務課長であった、筆谷欣五郎氏(現:富山県氷見市に在住だと推測されます)の命である。

 

私を陥れた、直接の本人は山田氏であるが。山田氏の直属の部下と任じたのは、筆谷氏である。

 

筆谷氏の人事を決断したのは、コマツの本社の人事である。

 

1995/01/17 に阪神・淡路大震災発生・・・。

 

自然と人間が連動していることを哲学的考察から故意に陥れ、精神疾患に見せかけた、詐術(人工知能で私の脳を人為的操作する詐欺)で莫大な富を築き、バブル経済崩壊で赤字経営に陥ったコマツは一計を投じ、その策謀に嵌められ、知り得た範疇で犠牲になった、新人が私と永瀬氏、更に、二年目に突入した、塩沢氏であった。

 

私は川崎市に在住

永瀬氏は埼玉県草加市

塩沢氏は当時、新潟県燕市在住であったと推測されます。(塩沢氏に東北新幹線燕駅まで出向いたのが2003年くらいの時。その時に、塩沢氏(旧姓)が奥方(幼稚園の先生でいらしたそうだ。夫婦喧嘩が元で、霜鳥氏(塩沢家に養子に行かれたそうだ)と奥方が夫婦喧嘩に発展し、奥方とは離婚されたそうだが。その夫婦の決定的な溝を創ったのが、山田荘一氏である)

 

山田荘一氏の塩沢氏に対する、異常な罵倒は私の配属から続いていた。

※塩沢氏は山田氏の部下ではない!

 

※ 私は当時、社会人一年目であったが、山田氏の塩沢氏に対する罵倒劇には理に適ってはいない。唯、手で覚え、眼で覚えよ。

 

※ 予め、断っておくが、塩沢氏は現地採用ではない。本社採用として、92年から小松製作所に勤めていらした。

 

ですから、塩沢氏の職責は、間接工員であって、直接工員ではないのだ。

 

職責違反をしたのは、山田主任(当時)であり、山田氏の暴政を放置し続けたのは、油機製造部の部課長であり、社員の健康管理を護る違反をしたのは、部課長にその責任の所在があるのである。

 

工場内という密室では事は大袈裟に発展する筈がない。後は本社に秘密裏にして、自分の出世意欲も旺盛であった、筆谷氏にとって、特に私の問題は厄介であった。

 

だから、筆谷氏は私に本社で健康診断を勧めたが、実情は、本社の近所のホテルにて、故・林峻一郎産業医精神科医)と密会するよう、謀略を練ったのである。

 

塩沢氏は聲には出さなかったが、山田氏は直接工員から事務所に上がってきた、叩き上げの主任。小山工場に川崎工場から移転して、三年目に突入したばかりで、小山工場内では、川崎工場が閉鎖されて、移転先が小山市に成っていた経緯もあり、又、コマツ小山市から直接作業員を現地で採用していたため、山田氏としては、川崎組と小山組を束ねることが氏の仕事上、急務であり、そのことに大変、苦慮されていたのが、山田主任(当時の職責)だった。

 

塩沢氏は、FAラインには欠かせない人材で、主に、FA工場でオートメーション化された、自動旋盤機械の基本プログラムに異変が起きた際、氏が異常が起きたFA工場内にある、旋盤機械などのプログラム修正などを担当としており、氏が勤務中にサボタージュしている様子は一片も見受けられなかったのにもかかわらず、山田氏はあらんばかりの怒声、罵声を張り上げ、塩沢氏を教育するという視点ではなく、最早、私刑という形としてしか視られようがなかったのだ。教育者ではなく、個人的に塩沢氏が目障りだとするのも、山田が上役から賄賂金を受託し、その裏仕事を熟していた可能性が高いのだ。その暴風と直接の山田氏の部下であった、私がその後、どのような眼に遭遇せずにはいられなかったのか、想像するに容易いと想える。

 

山田氏は、恐らく、山田氏の上役から、賄賂金を受託していたと推測されます。

 

その見返りに、三人の退職を促すよう、上役からの命を受け、それに従ったのが山田氏です。