徒然なる儘に ・・・ ⑤

心機一転、新たにブログ再開です💕 雑談を書くことも多いですけれど・・・(主に、電子ゲーム・ネタ💕)、残りは【新聞記事】にコメントを入れています💕

核搭載米艦、寄港容認の密約経緯 60年安保改定時、米公文書に明記 編集委員・藤田直央2024年5月18日 21時30分

 1960年の日米安全保障条約改定をめぐる交渉で、核兵器を積んだ米軍艦の日本寄港を事前協議なく認める密約を両政府が交わしていたことを示す米公文書が見つかった。この密約を日本政府は認めていないが、さらなる検証が必要なことを示す発見だ。

 文書は1958~60年の条約改定交渉に関する二十数点。信夫(しのぶ)隆司・日本大学名誉教授(日米外交史)が、米国の国立公文書館NPOの国家安全保障公文書館NSA)で2004年以降に入手し、精査した。

 岸信介首相は1958年2月、領海を含め日本に核兵器を持ち込ませないと国会で答弁したが、米政府は核搭載艦が自由に寄港できる環境を維持しようとした。

 一連の米公文書によると米国務省は58年9月、マッカーサー駐日大使に、条約改定で新たに設ける事前協議制度について訓令を出した。核兵器の日本領土への配置は事前協議の対象とする一方で、「核搭載艦の日本の領海、港への立ち入りは過去同様に続き、事前協議の対象にならないとの確認を求める」よう指示する内容だった。

 翌月、大使は岸首相同席の場で藤山愛一郎外相と交渉を開始。その場で訓令通りに伝えた、と国務省に報告した。

 大使は59年4月、「事前協議は、航空機の立ち入りや艦船の領海、港への立ち入りの手続きを含む、米軍とその装備の日本への配置に関する現行の手続きに影響を及ぼすとは解釈されない」と念押しした。藤山外相は「受け入れた」と応じた。

 この日米の「了解」について米国務省は5月、「後続の日本の政権でのいかなる誤解も避けるため」に機密文書を作るよう指示。藤山外相は抵抗した。岸首相の国会答弁に反する機密文書が漏れた場合の政権への打撃を恐れたとみられる。

 最終的には大使の要請に押され、日本政府は機密文書の作成を受け入れた。山田久就・外務事務次官が6月、大使に「藤山は秘密の解釈了解を交渉記録という形にする可能性を考えている」と伝達。大使と藤山外相は60年1月6日付の「討議記録」に署名した。

 両政府は改定条約に1月19日に調印し、討議記録は伏せた。

 中島琢磨九州大学教授(日本政治外交史)は「岸内閣で政治判断ができた藤山外相が機密文書作成に応じた背景がわかり、貴重だ。日本の非核政策の原点に関わる問題で、外務省は同様の文書は日本側にはないとするが、当時の事実関係を調べるべきだ」と話す。

 日本外務省はこの密約について2009~10年に調査し、確認できなかったと発表。外務省幹部は今回の米公文書も「日本政府の立場を揺るがすものではない」としている。編集委員藤田直央