徒然なる儘に ・・・ ⑤

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(社説)裁判員裁判15年 より成熟した制度へ、議論を 社説 2024年5月19日 5時00分

 市民と司法をつなぐこの接点を、私たちは生かせているだろうか。

 殺人などの重大事件の刑事裁判に市民が参加し、裁判官とともに有罪・無罪や刑の重さを決める裁判員法が施行され、21日で15年になる。

 これまで12万人以上が参加し、おおむね堅調に進んできた。刑事手続きや裁判がわかりやすくなる成果もあった。

 一方で毎年、7割近い人が任務を辞退するなど、定着したと言いがたい現状もある。

 司法への市民参加は、戦前の陪審制度が、第2次大戦の影響で15年間で停止されて以来のものだ。現代の社会に導入された意味を考えたい。

 

 ■クリアになった課題

 裁判員制度は、2000年代前半に進んだ司法制度改革の柱としてできた。

 提言した政府の審議会の意見書には、制度を通し公共の問題により能動的に関わっていく市民像が描かれている。

 三権のうち国会や政府は選挙や議院内閣制によって直接・間接に国民と結ばれているが、司法は選ばれた存在ではない。市民参加によって理解や支持を高め、司法が国民的基盤を持つねらいもあった。

 社会にもたらされた影響を評価するのは簡単ではないが、誰もが裁判員になる可能性があり、社会に責任をもっている、という重みは前向きにとらえるべきものだ。

 課題も明確になってきた。まず、幅広い参加の実現だ。

 候補者に選ばれても仕事などの理由で任務を辞退できるが、その率は上昇を続け、17年以降は60%台後半が続いた。個別の裁判の裁判員を選ぶ手続きの欠席率も上がり、近年は呼び出された候補者の約3割が欠席している。

 この傾向が進めば、裁判にもともと関心のある人や時間に余裕のある人たちによる制度になりかねない。対策を進める岐路に立っている。

 

 ■初心に立ち返って

 日々の生活で語られ、人々の意識にのぼることが、いまだ「成長期」にある制度に求められているのではないか。

 壁になっているのが、裁判員経験者の守秘義務だ。

 対象は、評議での有罪・無罪の意見の数、評議の経過など一部にすぎないが、裁判の核心部分でもある。話して問題がないこととの線引きが難しいと感じ、経験の共有をためらう人が多い。

 裁判官と裁判員が対等に評議できているか、検証、研究することも難しい。

 裁判員経験者らでつくる市民グループは、発言者がだれかを特定しない形でなら評議について話せるようにすべきだと、提言している。

 既に400万人超が裁判員候補者名簿に載った。その通知を受けたと公にすることも禁止だが、実際に選任手続きに呼ばれるかも分からない段階で、そこまでの縛りが適切かは、検討の余地がある。

 書面の証拠に依拠されてきた刑事裁判は、法廷で証拠・証言を見て聞いてわかるものへと、大きく形を変えた。

 法律家の「経験則」が問い直され、市民の社会常識が反映された結果、無罪の発見に至ったこともあった。

 ただ運用が重なるにつれ、公判前に争点を絞り、「簡にして要を得た」裁判に徹する姿勢に後退もうかがえる。

 平均の審理期間は、10年の4・9日から昨年の14・9日と、長期化をたどる。丁寧に審理したい裁判員の意思は尊重されるにしても、原点を忘れるべきではない。

 公判前整理手続きも長期化し、昨年は平均11・1月。全期間で3年を超えた事件も37件あった。証人の記憶が薄れるのは避けられず、勾留が続く被告、判決を待つ被害者らへの影響も無視できない。

 制度が始まったとき、東京地裁の裁判長だった村山浩昭弁護士は今月開かれたシンポジウムで、「新しい裁判をつくるんだ」という当初の「ときめき」が失われているのではないか、と警告した。

 

 ■制度をさらに磨く

 死刑の選択に市民がかかわるきっかけでもあった。

 これまで、裁判員裁判で46人に死刑が宣告された。死刑も有罪か無罪かの判断や他の量刑と同様、裁判官3人と裁判員6人で計9人のうち少なくとも裁判官1人を含む5人の賛成で決められる。

 だが、日本以外の先進国で唯一、死刑を運用している米国では、その選択に原則、陪審の全員一致を求めている。国家が刑罰として個人の生命を奪い、執行したら取り返しがつかない死刑の適用には、より厳格な評決ルールが必要ではないか。

 裁判員制度を、いかに成熟させていくか。継続的に運用状況を見守り、制度上の見直しを検討していくには、市民に開かれた常設の議論の場が欠かせない。

 民主主義をとる国々の多くは、陪審制、参審制などの形で市民が司法に参加する長い歴史をもつが、常によりよいしくみを模索する姿勢あってのことだ。

 法曹三者や研究者だけでなく、裁判員経験者や被告、被害者の視点も入れて、社会に深く根を下ろす制度に育てていくときだ。