徒然なる儘に ・・・ ⑤

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(日曜に想う)知の巨人が論じる「戦争」の本質 編集委員・佐藤武嗣 2024年5月19日 5時00分

 人間を戦争の脅威から救う方法はあるのか――。第2次世界大戦前の1932年、ドイツ生まれの物理学者アインシュタインは、当時の国際連盟から「いまの文明で最も大切だと思える問い」について、好きな相手を選び、意見交換してほしいとの提案を受け、心理学者のフロイトを指名し、そう疑問を投げかけた。

 

 この往復書簡を載せた邦訳「ひとはなぜ戦争をするのか」(講談社学術文庫)を数年前に読んだが、改めて読み返した。ロシアのウクライナへの軍事侵攻、イスラム組織ハマスへの報復でガザ壊滅へ突き進むイスラエルの過剰攻撃。原始以来の「暴力による支配」が頭をもたげ、戦わずに秩序を定める「法の支配」は音を立てて崩れ、各国が様々な思惑から当事国を支持・支援する。そんな光景を見て、なぜ人類は再び理不尽な戦争に陥るのかと思ったからだ。

 アインシュタインは、人間の心の中に平和にあらがう力が働き、それを増長するのが「権力欲」と、戦争で利益を得る「権力に擦り寄るグループ」の欲だと指摘。人間には本能的に「憎悪と破壊の欲求」があるとして、憎悪を含む人間の「心」を探求するフロイトに見解を求めた。

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 フロイトは楽観を避けつつ、こう返信した。人間を行動に駆り立てる内在的な「欲動」には、生物の本能的な憎悪と破壊の「死の欲動」と、生存本能や愛する者への絆、戦争への憤りなど「生への欲動」の2種類ある。時に自己保身が攻撃に転じるように両者は互いに作用する。本能である憎悪と破壊願望は消し去れないが、一方で我々の「心と体」は戦争への憤りも覚える。それは知性と感情の制御で人間が育んできた「文化」で、人間同士の感情と心の絆を作り、文化の発展によって「戦争をなくす方向に人間を動かしていくと期待できる」と希望の光をあてた。

 書簡が交わされたのは欧州でナチスの暴力が広がった時期で、後にユダヤ人だった2人も迫害を受けて亡命。世界は第2次大戦に突入した。残念ながら書簡から90年以上経った今も戦争は終焉(しゅうえん)を迎えていない。

 「法の支配」を説いていた米国だが、イスラエル支持を鮮明にし、停戦を求める国連決議案に拒否権を発動。イスラエルを強くいさめることを避け、日本もそれに引きずられている。米国の変質は、ロシアの暴力の支配に口実を与えるだろう。

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 ユダヤ人であるアインシュタインだが、48年にユダヤ人の武装集団が行ったパレスチナでの虐殺事件に憤り、新聞への意見広告で、建国されたイスラエルの政党(後のリクード)を「その組織、手法、政治哲学、社会的訴えにおいてナチスファシスト党と酷似している」と批判。「過去の行動から、将来何をするか予想できる」とも述べている。

 アインシュタインは55年、英数学者のラッセルらと核兵器が「人類共通の死」をもたらすと警告した宣言も発表。「我々は望ましい集団に軍事的勝利をもたらすのに、どんな手段を講じることができるかではなく、全ての当事者に悲惨な結果となる事態をどう防ぐのか、自問すべきだ」と訴えたが、いま核兵器使用のリスクも再びくすぶり出した。

 むろん絆を説けば、平和が訪れるわけではない。ただ、憎悪や権力欲に任せ、世界が「法の支配」より、「暴力の支配」に傾き、日本もそんな他国の風潮になびきつつありやしないかと懸念する。先人の警鐘に耳を傾け、現状を見つめていきたい。