徒然なる儘に ・・・ ⑤

心機一転、新たにブログ再開です💕 雑談を書くことも多いですけれど・・・(主に、電子ゲーム・ネタ💕)、残りは【新聞記事】にコメントを入れています💕

(天声人語)天声人語120年 2024年1月6日 5時00分

大阪で発行する朝日新聞に、天声人語が登場したのは120年前のきのうだった。日露戦争の勃発前夜となる1904年の1月5日。激動の時代の予兆を見たか、

 

書き出しは

 

 

「雲を呼び雨を起(おこ)すと云(い)ふ辰(たつ)の新年」とある

 

 

▼17年後の1921年、芥川龍之介は上海の芝居小屋で、この天声人語という言葉を目にしている。舞台の上の欄間に、漆喰(しっくい)のバラやアカンサスの花とともに「天声人語と云う大文字」があったそうだ

 

▼日本から伝わったのか、元々中国で使われていた言葉だったか。芥川の説明はそれ以上にないが、うたい文句のようなものだったのだろう。当の舞台は「到底天声人語所じゃない」。鳴り物がうるさく、役者の声など聞こえなかったとか(『上海游記』)

 

▼古来、中国において、天とは神などではなく、人の世と重なり合うものである。歴代の皇帝たちは天の命を受けたとされたが、それを見定めるのは、この世に暮らす人々の声にほかならない

 

▼「民の声、庶民の声こそが天の声」。戦後長く筆者を務めた荒垣秀雄は、この欄が、読者と対話する「縁側」であり、人の世をじっと見つめ続ける「街路樹」のような存在であるべしと書いた

 

▼戦前をはじめ、数多き過ちに頭(こうべ)を垂れ、二度と権力におもねることなきよう、自戒する。誰に憚(はばか)ることなく、きょうもあすも物を言う。読者とともに立ち、ときに怒り、ときに泣き、オロオロもするデクノボーでありたい。十干十二支が2巡したいま、そんな思いを新たにする。