手元のメモ帳に書き留めた秀句がある。どなたの作か知らない。<喜ぶな上司と野球にゃ裏がある>。サラリーマン川柳(サラ川)らしい。社会人になって以来、裏のない上司に恵まれた当方だが、思わず笑み崩れた覚えがある。
▼かつては「裏日本」という表現が使われたこともあった。政治や経済、文化の「立ち遅れ」という含みがあり、本州の日本海に面した地域がそう呼ばれた。新潟県はしかし、いまの領域になった明治19(1886)年でも全国首位の人口を誇った。
▼日本海側は北前船の航路として発展し、盛んな稲作が多くの人口を養った面もある。26年は新潟の約170万6千人に対し、東京は約160万8千人だった。「裏日本」化が進んだのは、太平洋側の工業化により労働力の移動が見られるようになった明治30年代以降といわれる。
▼地方から都心へと固定化した人の流れは、新型コロナ禍を境に変わったかに見えた。転入者が転出者を上回る東京の「転入超過」は、やはりコロナ禍前の状況に戻りつつある。経済活動が平時に戻り、就職や進学に伴う若者の流入が増えたという。
▼昨年のサラ川優秀作に<お互いに出社しててもZOOMごし>とある。「在宅勤務」「リモートワーク」の唱和もつかの間、コロナ禍の大きな波が去ると働く人々は再び都心のオフィスに戻ってきた。東京駅周辺は高層ビルの建設ラッシュに沸き、首都の魅力は衰えを知らない。
▼一時は地方や郊外に立地を求めた大学のキャンパスも、情報と利便性に富んだ都心に回帰している。ここは地方にとっても踏ん張りどころであろう。新たな魅力の創出へと知恵を絞りたい。一極集中の行き着く先が、他の地域は「裏ばかり」―では笑えない。