徒然なる儘に ・・・ ⑤

心機一転、新たにブログ再開です💕 雑談を書くことも多いですけれど・・・(主に、電子ゲーム・ネタ💕)、残りは【新聞記事】にコメントを入れています💕

1934年の時点でアメリカの情報機関がヒトラーについて知っていたこと Jan. 25, 2017, 06:10 PM

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Via Flickr

ハーバード大学教授の米国人精神分析ヘンリー・マーリー(Henry Murray)氏の分析によると、史上最も残酷な暴君の1人であるアドルフ・ヒトラーは、子供時代の抑圧された怒りから来る復讐という使命に駆られた精神分裂者だった。

1934年、アメリカの中央情報局(CIA)の前身にあたる戦略諜報局(OSS:Office of Strategic Services)はマーリーにアドルフ・ヒトラーの人格分析を依頼し、その行動を予測しようとした。 229ページにわたるこの報告書の中で、マーリー氏はヒトラーを「普通の人間関係を築くことが不可能」な誇大妄想的「完全な人格破綻者」と表現している。

どんな形の慈悲も人間味のある処遇も、彼に望むことは永遠に不可能だ」とマーリー氏は書いた。

苛立ちに満ちた子供時代の末、ヒトラーはすべてにおいて支配をきかせることに義務感を感じた

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Bundesarchiv

子供時代のヒトラーは、小さくて弱々しく、病的な外見に端を発した劣等感による、耐えがたい思いに苛まれていた。

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彼はクラスメートと比較して優秀な生徒でない自分を恥じ、学校に行くことを拒否した。

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母親はクラスから脱落するのを許すことで彼を宥(なだ)めた。

「彼は一度として手を使った作業をせず、一度として運動を楽しむこともせず、オーストリア軍の徴兵制度においては、永遠の不適格者として(徴兵を)拒否された」とマーリーは書いている。

ヒトラーは「獣の強さ、腕力、容赦のない支配と、軍事侵略」を崇拝することで、自身の不安感をなんとか操作していた。

性的な面においてもヒトラーは、相手を辱め、虐待する「完全なマゾヒスト」と表現されている。

ヒトラーの“怒り”はエディプス・コンプレックスに起因

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ヒトラーの両親

Wikipedia/Amanda Macias/Business Insider

子供の頃、ヒトラーは両親が愛し合う姿を目撃したことがある。それが、母を愛し、父を憎悪する性質の原因(の1つ)となったのでは、とマーリーの報告書はいう。

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ヒトラーは父を尊重し、その態度はむしろ卑屈なくらいだったが、その実、父親を、暴君的厳格さと不当な仕打ちで家族を支配する者として敵視してもいた。報告書によると、ヒトラーは父親の男性的な力を羨ましく感じており、母親の失われた栄光を再構築するべく、父親を辱めることを夢見ていた。

16年の間、ヒトラーは大志のかけらも、競争の気配すら見せることはなかった。なぜなら父親が死んだ後、まだ新しい敵を見つけられていなかったからだ。

ヒトラーはよく「自分は去勢されている」と感じていた

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Bundesarchiv

ヒトラーの男性性にダメージを与えたもう1つの要因がある。彼は「普通のやり方で性的に達することができなかった」と、彼の昔のパートナーはマーリーに語っている。

「この虚弱性を我々は、優越感への途方もない渇望と認識しなければならない。女性の前で男性性を示すことができないことを、世界中の人間に卓越した権力を見せつけることで埋め合わせようという衝動に彼は駆り立てられていた」とマーリーは書く。

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伝えられているところによると、女性と性的な関係を結んだ時、ヒトラーはしばしばマゾヒスティックな行為に及んだという。 ヒトラーには複数の相手がいたと言われているが、ベルリンの燃料庫で心中する数時間前に、長年の愛人であったエバ・ブラウンと結婚した。

優柔不断に苦しみ、プレッシャーに押し潰されていた

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Wikipedia

権力の頂点にいた時ですら、ヒトラーはしばしば感情的に暴走した。

「彼は自責の念にかられると悪夢を見た。エネルギーや自信や決断力を失った状態で長時間を過ごした」とマーリーは書いている。

マーリーによれば、ヒトラーの絶望は以下のパターンで発症した。

• 感情的激高、怒りによる癇癪の爆発、そして非難に満ちた罵りが涙と自己憐憫で終わる

•惰性、疲弊、哀愁、そして優柔不断な時期が訪れる

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•何時間にもわたる深い落胆と不安に駆られた悪夢へと続く

•回復の数時間へと導かれる

•そしてついに、強い力と無情な反撃をするための自信にみちて毅然とした決断

この5段階の進化は、24時間から数週間くらいの間続くと、報告書はいう。

混血の血筋を恥じていた

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Joseph Goebbelsに話しかけるヒトラー

Bundesarchiv

ヒトラーは、「純粋で純潔の、一切の濁りのないドイツの血脈」を尊び、マーリーによるとそれは、貴族階級と美に結びついていたという。

マーリーはヒトラーの混血に対する蔑視について下記のような説明をしている。

• 12歳の少年ヒトラーは、ある少女と性的な関係を結んでいる最中に逮捕されている。その後彼は、女性との接触を通じて起こる血液の汚染に対する恐怖、精神分裂症を悪化させたようである。

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•この理不尽で強烈な恐怖感は、「性的なもの」および「排泄」に関する心象に結びついている。そう考えてほぼ間違いない。彼は性的なものを極めて汚いものだと思っていた。

ヒトラーは、父親が私生児として生まれ、少なくとも2回の離婚経験があったこと、彼の祖父や教父がユダヤ人だったこと、彼の姉妹の1人が金持ちのユダヤ人の愛人であったことをすべて否定した。

ヒトラーが憎しみをユダヤ人に向けたのはそれが容易な標的だったから

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1933年、ベルリンの帝国議会へ向かうヒトラー

Bundesarchiv

ヒトラーが個人的な鬱憤晴らすのにユダヤ人はうってつけの対象だった、なぜなら、彼らはその「拳と武器を振り上げてやり返して来ないからだ」とマーリーは説明する。

ユダヤ人はヒトラーが容易に標的にできる存在だった。ベルサイユ条約によって多額の賠償金を課されたドイツの経済的な苦境さえも、ヒトラーユダヤ人のせいにした。

ヒトラーはまた、「物質主義」「民主主義」「資本主義」「共産主義」などとユダヤ人を結び付けて考えた。ヒトラーユダヤ人から富と権力を剥奪することに熱心だった。

感情の起伏が激しかった。しかし、眼の色をよく褒められた

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Marina Amaral

マーリー報告書によると、ヒトラーの目は“死んで”いて、感情が見えづらくうつろだった。しかし、たびたびその灰色がかった青い瞳を褒められた。

彼は平均より少し背が低く、毛の生え際が後退しており、唇は薄く、形のいい手をしていた。

この無慈悲なナチスの総統は、湿ってべとべとした手で弱々しい握手をすることで知られ、雑談をする時は極めてぎこちなかった、とマーリーは書いている。

いくつかの情報源によると、ヒトラーは「恥ずかしがり屋」か「感情の起伏が激しい人間」のように見受けられたという。その動作はぎこちなく、食べものに対しては異様なほどのこだわりを見せた。

[原文:Amazing insight into what US intelligence knew about Hitler in 1943]

(翻訳:日山)