徒然なる儘に ・・・ ⑤

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一般参賀は「天皇と国民のつながり」を象徴 戦後に開始、お出ましは「予定外」から定着 2024/2/23 18:38

天皇陛下の64歳の誕生日を祝う一般参賀で、お言葉を述べられる天皇陛下=23日午前、皇居・宮殿(松井英幸撮影)

天皇陛下が直接、国民からの祝賀に応えられる一般参賀。例年、1月2日と天皇誕生日に執り行われてきたが、令和2年以降は、新型コロナウイルス禍で中止や事前申し込みによる抽選が続いた。変遷を経てなお、国民的行事として多くの人が訪れる一般参賀の原点は、「国民の総意」としての天皇の地位を定めた日本国憲法にある。

行事の「重要性」

「冷たい雨が降る厳しい寒さの中、誕生日にこのように来ていただき、皆さんから祝っていただくことを誠にありがたく思います」

あいにくの雨の中で行われた23日の一般参賀。それでも、冬用のコートやダウンジャケットに身を包み、かじかむ手で小旗を振る大勢の参賀者らを前に、陛下はこう、お言葉を述べられた。

一般参賀としてはおよそ4年ぶりに、抽選による人数制限なしで実施。昨年は抽選に外れ、今回初めて訪れた岐阜県の女性(64)は「直接お言葉を聞くと温かく、うれしい気持ちになる」とほほ笑んだ。陛下はお言葉で、能登半島地震の被災者も気遣われ、女性は「国民に寄り添ってくださっているんだと思う」。埼玉県富士見市の男性(40)は「コロナの分類が変わって通常開催になり、子供にこの雰囲気を感じてほしかった」と5歳の息子を見つめた。

宮内庁は1月1日に発生した地震を受け、同2日の新年一般参賀を見送っていた。天皇誕生日参賀実施を決めたことについて、同庁幹部は、復旧・復興に向けた歩みを進める被災地への「エール」としての意味合いとともに、国民の祝日に行われる行事の重要性に鑑み、改めて検討した結果だと説明した。

皇室の活動に詳しい名古屋大大学院の河西秀哉准教授は、一般参賀について「天皇と国民とのつながりを象徴する場」だと語る。

一般参賀が初めて行われたのは、戦後の昭和23年1月。河西氏はその前提に、22年5月に施行された日本国憲法を挙げる。それまで、皇居に入ることができるのは一部の階層の人だけだったが、象徴である天皇の地位が国民の総意に基づくとされたことで「一般の国民から広く、等しくあいさつを受けることになった」(河西氏)。

昭和天皇実録などによると、当初は記帳のみの予定だったが、想定を上回る長蛇の列ができ、昭和天皇はこの様子を見ようと宮内庁庁舎の屋上へ出た。その姿を認め、参賀者から沸き起こった「万歳」の声に対し、昭和天皇は帽子を振って応え、香淳皇后も加わった。参賀者総数は13万~14万人に達したとされる。

予定外の出来事だったが、その後恒例化。天皇が国民の祝賀に直接、応える今の参賀の形が定着していった。

国民の意思示す

参賀を巡っては、過去に事故や事件も発生している。29年の新年一般参賀で発生した「二重橋事件」では、殺到した参賀者が転倒し、十数人が死亡。44年にはパチンコ玉が発射されたり、発煙筒が着火されたりする事件が発生し、同年の天皇誕生日からは宮殿ベランダに厚さ10ミリ程度の硬質ガラスが導入された。

河西氏はこうした経緯も踏まえつつ、一般参賀は「象徴としての天皇を支える国民の意思が、皇居に来るという能動的な行為によって示される空間」と指摘する。その上で、「天皇陛下が国民に向けて直接、語りかけ、その反応を受け止められる数少ない機会。その光景がメディアを通じ、一般の国民に広く認知されることも、象徴天皇制において重要な意味合いを持つ」と解説する。(緒方優子、吉沢智美)

4年ぶり制限なしで皇居一般参賀