2001年、皇太子時代の天皇陛下は、懐妊した皇后さまの妊婦健診に毎回付き添った。
当時は健診に夫が同席する習慣が根付いておらず、公務で多忙な陛下の同行に批判的な報道もあった。だが、陛下は変わらず宮内庁病院に足を運んだ。
一方、皇后さまは健診時にはメモを取り、妊婦のための手引を丸暗記したのかと思うほど読み込み、母子手帳に日々の体重を記録した。30分の運動を勧められると、きっちり時間を守って取り組んだという。
「雅子さまをおもんぱかって」
胎児の性別が判明するころ。担当医の堤治さんが「いかが致しましょうか」と性別の告知について尋ねた。
陛下は即答した。
「必要はありません」
当時は女性天皇や女系天皇の議論に関する報道があり、「出産前に性別を知ることで雅子さまの心に何らかのさざ波を立ててはいけないという陛下の思いやり、雅子さまをおもんぱかっての判断だろう」と堤さんは感じた。
出産予定日は当事者のほかには明かさず
まじめにきちょうめんに。出産に向かって取り組むお二人の姿に、堤さんはこれから生まれる我が子への愛情を感じたという。
皇室ならではの苦労もあった。事前に情報が漏れないよう、出産予定日は両陛下のほかには一切明かさなかった。
当時の東宮侍医長に聞かれても、自身の方針を押し通した。かつてのように公表前に出産予定日などが報じられると、両陛下が心を痛めると思ったからだ。
出産に向けた入院のタイミングにも苦慮した。陣痛が始まっても、宮内庁病院に行くまでに警備や報道対応などで2時間ほどが必要で、すぐに移動ができない。
かと言って早期に入院し、出産までに時間を要すると、余計な心配をかけてしまう。
そこで役立ったのが「遠隔分娩(ぶんべん)監視装置」だ。おなかに装着したセンサーで子宮の収縮や胎児の心拍数を計測し、インターネット回線で送られたこれらのデータを元に、堤さんが入院時期を判断した。
そうして入院翌日に出産。大きな産声が病院内に響き渡った。37歳11カ月での出産。結婚から約8年6カ月が経過していた。
礼節を尽くす陛下の姿に
いとおしそうに我が子を抱いている皇后さまは、愛情深い母親の顔だった。
「内親王さまがお生まれになりました。雅子さまも内親王さまもお元気です。ご面会に来てください」
別室で待機していた陛下に報告すると、陛下は姿勢を正し、「先生がおっしゃるように物事が進み、安心してお任せできた。先生にお願いして本当によかった。ありがとう」と感謝を伝えたという。
身をもって示す
普通は一刻も早く我が子に会いたいはず。だがそんな時でも礼節を尽くして感謝を伝える陛下の姿に思わず感極まった。
退院の日。「お産は楽しかったです」。皇后さまからの思いがけぬ一言に、「お産は大変という人が多い中、教えられたような気持ちになった」と堤さんは言う。
当時は夫婦で妊婦健診に参加するケースは珍しかったが、その後次第に増えていった。
また当時、実証実験段階だった遠隔分娩監視装置はその後急速に普及し、遠隔地や離島の妊婦などに活用されている。
「このまま平和に」
「陛下が身をもってお示し下さり、出産の文化を率先して導いて下さった。皇室の出産がもたらした医療の進歩や恩恵と言える」と堤さんは話す。
愛子さまは21歳となり、成年皇族として活動する。産婦人科医としての楽しみと喜びは、愛子さまの成長を見られることだ。
近年の両陛下やご一家の様子に「仲むつまじく、このまま令和の時代が平和に続くことを祈ります」と語る。(多田晃子)