徒然なる儘に ・・・ ⑤

心機一転、新たにブログ再開です💕 雑談を書くことも多いですけれど・・・(主に、電子ゲーム・ネタ💕)、残りは【新聞記事】にコメントを入れています💕

<産経抄>安倍派幹部は弟子失格者かいけにえの羊か 2024/3/2 05:00

衆院政治倫理審査会の冒頭、自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件について陳謝する岸田文雄首相=2月29日午後分、国会内(代表撮影)

「後来の種子いまだ絶えず」。2月29日の衆院政治倫理審査会で唐突に幕末の志士、吉田松陰の言葉を引用した岸田文雄首相は、何を思っていたのか。後来の種子とは将来の種子、つまり種モミを意味する。首相は続けた。「今の政治を未来の世代に自信を持って引き継いでいけるか」。

▼もとは松陰が処刑前日に書き上げた遺書に当たる『留魂録』の一節である。松陰を尊敬した安倍晋三元首相が折に触れて口にしており、昭恵夫人安倍氏家族葬でこう挨拶したことで注目された。「(主人は)種をいっぱいまいているので、それが芽吹くことでしょう」。

▼松陰は同志らに、私の志を憐(あわ)れみ継承する人がいれば「すなわち後来の種子いまだ絶えず」と訴え、そこを考えろと説いた。首相は、現在の政治の志の低さを嘆いたのか。それとも自民党の安倍派幹部に対し、安倍氏の遺志を継いで芽吹いていないとやんわり叱責したのか。

▼松陰の後来の種子のエピソードから、新約聖書を連想する人も少なくないだろう。「一粒の麦は、落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネによる福音書)。

安倍氏は平成12年に、小紙インタビューで松陰に触れ語っている。「打ち首になることで『神』に近い存在になった」。そして、松陰の死後に門下生たちが奔走して明治維新を完成させたことと、キリストの12使徒も師の死後に熱心な布教を開始させたことの類似性を指摘していた。

首相がふだんは言及しない松陰を引っ張り出した真意は分からない。まさか安倍派幹部をキリストの12使徒の一人で、裏切り者の代名詞であるユダに仕立て上げ、問題落着のための生贄(いけにえ)の羊にする布石ではあるまいが。