徒然なる儘に ・・・ ⑤

心機一転、新たにブログ再開です💕 雑談を書くことも多いですけれど・・・(主に、電子ゲーム・ネタ💕)、残りは【新聞記事】にコメントを入れています💕

<産経抄>震災を伝え続けるために 2024/3/11 05:00

東日本大震災13年】岩沼市の千年希望の丘で行われた追悼行事では約530基の灯ろうが点灯された=10日午後、宮城県岩沼市(鴨志田拓海撮影)

言葉を生業(なりわい)にしていてなんだが数字の力に、より幅広さを感じることがある。例えば1・17の神戸、3・11の東北、そして能登の1・1。それは自然と意味を持って単に日付の記録にとどまらない。簡潔なだけに記号化されて周知のごとく日々に定着する。

▼その3・11から13年の早春である。災害が相次ぐ昨今、「傾聴」という言葉を耳にするようになった。耳を傾けて聴く。辞書には熱心に聴く、共感をもって聴くなどとある。古めかしいが、どこか優しい敬意を含んでいる。

▼作家、いとうせいこうさんの新著『東北モノローグ』でその味わいを実感した。東日本大震災に関わるさまざまな記憶が、17人の一人称語りで再現されている。農家や消防士もいれば元新聞記者もいる。一人一人の話を〝聴〟いて背後にあろう何万もの物語にも改めて気づいた。

▼少し引かせていただく。切実だったのは宮城県の「在宅被災者」の男性だ。能登半島地震でもまたクローズアップされているが、彼の場合10年以上たった今も壊れた家で暮らしている。なぜかと問われ「お金がないから。支援が足りてないわけ」と答えた。「もう自分でも諦めてんだ。死ぬまでこのまんまだ」と。

▼聞き手のいとうさんは本紙文化面のインタビューで「今までの十数年とこれからの何十年かの年月の重みが見えてくる」と語った。震災はずっと続いていることを忘れてはならない。

▼千人いれば千通りの被災がある。数字の向こうの生身の話に真(しん)摯(し)に耳を傾けなければ何も見えない。伝え続けることもやめるわけにはいかない。そうだ、そのために言葉があると思い至る。父を亡くした語り部の女性が伝えたいとこう言った。「命が当たり前じゃないってこと」