徒然なる儘に ・・・ ⑤

心機一転、新たにブログ再開です💕 雑談を書くことも多いですけれど・・・(主に、電子ゲーム・ネタ💕)、残りは【新聞記事】にコメントを入れています💕

飽くまで、私の勘で証拠はないのだが。1993年次、小松製作所本社採用の人事を間接的に決断したのは、旧中曾根派くさいね・・・👿

岸田文雄 中曾根派

 

首相「青年世代の意見聴取を」自民青年局に指示 政治資金めぐり

 

小手川太朗 藤原慎一

 

 自民党派閥の政治資金パーティーをめぐる問題を受け、岸田文雄首相(党総裁)は21日、首相官邸自民党青年局の幹部らと面会し、全国の青年局メンバーから意見を聞き取り、報告するように指示した。面会後、中曽根康隆・青年局長代理が記者団に明らかにした。

 青年局は45歳以下の国会議員や地方議員らでつくる組織。首相は「自民党全体として危機感を共有して、一致団結して取り組んでいかなければならない。青年世代の意見をしっかりと聞いてほしい」と指示した。中曽根氏は「自民党の自浄作用を機能させるために、総理には厳しい声を正面から受け止めていただきたい」と語り、意見を聞き取った後に提言をまとめる考えを示した。面会は首相側の要請だったという。

 首相の動きに呼応する形で、小倉将信・前こども政策担当相や牧島かれん・前デジタル相ら青年局長経験者7人が同日、国会内で会合を開いた。

 集まったのは両氏の他に鈴木馨祐・元外務副大臣牧原秀樹・元厚生労働副大臣小林史明・元デジタル副大臣鈴木憲和・農水副大臣松本洋平・政調副会長。安倍派からの出席はなかったという。

 出席者の1人は「危機感を共有した。これだけ逆風が吹いている中で、自分たちとしては何ができるか集まって話そうとなった」と説明。ただ、政治資金規正法改正の必要性など具体策は議論しなかったという。

 首相は今回の問題を受け、「党所属の国会議員とひざ詰めで議論を行いながら、再発防止、問題点に対する対応についても、具体的な形を判断していく」と述べている。(小手川太朗、藤原慎一

 

 

岸田文雄 中曾根康弘

 

統一教会側との関係は世襲なのか 細田、岸田、中曽根、宇野…父や祖父も接点の疑い 党の点検は十分?

 

2022年9月7日 06時00分

 

思想新聞のコピー。「謹賀新年」と書かれた欄に岸田首相の父、文武氏の名がある

思想新聞のコピー。「謹賀新年」と書かれた欄に岸田首相の父、文武氏の名がある

 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係は断つ—。自民党総裁岸田文雄首相はそう宣言したが、本当にできるのか。壁になるのは、接点を持つ議員の多さだけではない。関係の深さもだ。教団側の古い文書を読むと、名の知れた世襲議員に関しては、父や祖父も接点を疑わせる記述が見つかった。地盤や看板のみならず、教団側との関係も世襲されるのだろうか。世代を超える関係は清算する術があるのか。(特別報道部・岸本拓也、山田祐一郎)

細田衆院議長や岸田首相の父、教団系政治団体の文書に名前

 教団と政治家の関係を巡り、共同通信が8月に行った調査で無回答だった1人、細田博之衆院議長。NPO法人日韓トンネル研究会」の顧問だったと報じられている。このトンネルは教団の創始者の故・文鮮明氏が唱えたとされる。研究会の会報を見ると、細田氏は2019年6月の総会で顧問に就任したとあった。法人側に事実確認のメールを送ったが、6日夕までに回答はなかった。
 教団系の政治団体国際勝共連合の機関紙「思想新聞」をさかのぼると、新たな疑惑が浮かび上がった。
 1990年3月25日付では、反共の理念に同調する勝共推進議員の名簿が掲載され、細田氏の名が書かれていた。86年8月17日付の残暑見舞いのページでは、政治家の氏名が記された長方形の枠が並び、その一つに「衆議院議員 細田吉蔵」とあった。亡くなった細田氏の父の名だ。
 細田氏と似た例が岸田首相だ。共同通信の調査に無回答だったが、熊本県での後援会長が教団と接点を持つと報じられた。そして86年1月1日付の思想新聞のうち、新年を祝うページでは、ずらりと並ぶ長方形の枠の一つに「衆議院議員 岸田文武」と書かれていた。今は亡き父の名だ。
 この長方形の枠について元博報堂社員で作家の本間龍氏は「名刺広告と呼ばれ、時節のあいさつなどに合わせ、新聞社や広告代理店が『名前を出しませんか』と広告をお願いするものでは」と解説。「これほど大物の名刺広告が並ぶのは珍しいが、これだけでは関係の深さは測れない」と語る。
 2人の故人は広告を出したのか。勝手に載せられたか。細田氏の事務所は問い合わせに無回答だった。岸田氏の事務所は「当時の事務所関係者は在籍していないことから全く確認しようがありません」と答えた。

◆中曽根家は3代に渡り接点か

 世代を超え、教団側と接点を持ったことが疑われるのは中曽根家もだ。
 元首相の故・康弘氏は先の勝共推進議員名簿に載っていた。90年3月に開かれた勝共連合の関連会合であいさつしたと思想新聞に記録されていた。その長男の弘文参院議員、孫の康隆衆院議員は本紙のアンケートに応じている。弘文氏は教団系の月刊誌の取材を受け、康隆氏は教団関連施設で選挙支援を求めるあいさつをしたと認めている。
 教団との接点に「世襲的」な側面があったのか、改めて質問を投げかけると、弘文氏の事務所は「推進議員名簿に中曽根康弘の名前が掲載されていたかどうか当方は全く知らず、関知していない。親子であるから、受け継ぐとか受け継いでいないかとの質問は、独立した国会議員に対していかがかと思う」と回答した。
 勝共推進議員名簿に掲載され、後に首相になったのが故・宇野宗佑氏。娘婿で元衆院議員の治氏は10年ほど前から日韓トンネル推進全国会議の会長に就く。治氏は電話取材に「知人に頼まれて会長になったが、トンネルに旧統一教会が関連しているとは知らなかった」と釈明。「(勝共連合が)おやじを応援していたことは知っているが、私の時は組織的な応援やつながりはなかった」と話した。