徒然なる儘に ・・・ ⑤

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(社説)東電の事故から13年 原発に頼らない未来を描く 社説 2024年3月13日 5時00分

 福島県東日本大震災原子力災害伝承館。語り部の石川弘子さん(65)は年明け、特別な思いで講話に臨んだ。

 「これからどうなるのか。被災者は、底なしの不安でいっぱいのはずです」

 能登半島地震を伝える連日のニュースに、13年前に経験した命と暮らしの喪失、避難の記憶が重なった。「原発は大丈夫か」。最初に心配したのはそのことだった。

 

 ■「廃炉」の現実

 石川さんが講話でよく示す写真がある。震災から約1カ月後、国道6号沿いで見つけた畳に手書きした看板だ。

 《国民ころすきか》《原発どこかえもってけ》

 国会議事堂へ持って行け、と今も思う。「自然災害原発事故が重なった現実が今も福島にある。政治家の方々にはよく考えてもらいたい」

 東京電力福島第一原発の事故による県外への避難者は、今も約2万人。7市町村に帰還できない区域が残る。

 双葉町には岐阜の繊維会社が進出し、大熊町には教育施設が戻るなど復興も進む。だが、それでも両町の居住者は震災前の1割に満たない。

 昨夏、福島第一での汚染水を浄化した処理水の海洋放出が始まった。東電や政府は、「廃炉を計画的に進める一環」と位置づけている。

 だが、その「廃炉」は先行きが見通せない。核燃料が溶け落ちたデブリの取り出しは最初の数グラムすら難航を極め、1月に3度目の延期を決めた。デブリに触れた水に地下水が混ざり、汚染水が日々出続ける。工程表に掲げられた「2051年までの廃炉完了」の現実味は乏しい。

 事故処理や賠償にかかる費用も当初想定した6兆円から膨らみ続け、昨年末に23・4兆円になった。終わりの見えない廃炉の現実と、事故の重い代償から目を背けるわけにはいかない。被災者と現地の復興を支え続けるには、日本全体で原点を風化させないことを改めて確認すべきだ。

 

 ■反転する政策

 事故の1年半後、民主党政権は「30年代に原発ゼロ」の目標を固めた。運転期間の40年制限を厳格に適用し、新設や増設はしないことを原則に掲げた。世論の大勢も段階的廃止を支持した。

 朝日新聞の社説も事故後、脱原発を主張してきた。電力の安定供給やコストを考えれば一気に全廃は無理だとしても、再生可能エネルギーを増やしつつ、ゼロに向かうべきだとの考え方だ。

 自民党の政権復帰後、原発ゼロの目標は消えた。それでも安倍・菅政権は「原発依存度を可能な限り低減する」とし、新増設や建て替えは想定しないとしてきた。

 だが、岸田政権は、原発の「最大限活用」へと政策を反転させ、新増設・建て替えや60年を超える運転を認める方針を決めた。次世代炉の開発も加速させるといい、原発に頼り続ける道を描く。

 60年を超える運転は、経済産業省が主導し、原子力規制委員会も多数決で認めた。福島第一事故の教訓の根幹をなす「推進と規制の分離」の変質が懸念される状況だ。

 関西電力は昨年12月、大飯3、4号機について60年を超える運転を可能とする新制度での認可を申請した。森望社長は今年1月、新増設・建て替えの「検討を始めなければならない時期に来ている」と福井県内で述べた。

 政権の政策転換を具体化していく動きが、徐々にかたちをとり始めている。

 

 ■再エネ拡大こそ王道

 事故後、全原発を停止していた東電は今年、柏崎刈羽原発の再稼働に向けた動きを進めている。テロ対策の不備で規制委に運転禁止を命じられていたが、「自律的な改善が見込める」として昨年末に解除されたためだ。

 だが、福島第一では昨秋、作業員が高濃度の汚染廃液を浴びて入院し、先月には敷地内で汚染水が漏れた。柏崎刈羽再稼働の前提である「廃炉の覚悟と実績」や、安全最優先が疑われる事態だ。

 政府は、年内にエネルギー基本計画を改定する。政策転換後、最初の見直しで、従来書き込まれてきた「原発依存度の低減」が堅持されるかが注目点だ。温室効果ガスを減らす道筋も課題になる。

 脱炭素に向けては、太陽光や風力は劇的なコスト低下が進んでいる。広大な海を生かした洋上風力、ビルの壁面にも使える次世代太陽電池。自然環境と技術力を十分に生かし、国内で自給できる再エネの主力化に本気で取り組むことこそが、王道だ。

 原発は安全対策の必要性が増し、海外でも経済優位性が下がっている。「核燃料サイクル」の行き詰まりや「核のごみ」の処分など、未解決の問題も山積したままだ。

 何より日本は地震津波、噴火など災害大国だ。能登震源地付近にはかつて珠洲原発の計画があった。震災時には道路が寸断され、避難計画が「絵に描いた餅」になりかねないことも露呈した。

 事故の教訓を忘れず、原発に頼らない未来へ進む。その道を保てるかの分岐点に、日本社会は立っている。