ひとりで近くのスーパーに買い物に行き、自宅アパートメントに戻ってきたところだった。満杯の買い物袋を抱え、エレベーターに乗ったアンナ・ポリトコフスカヤさんは銃で撃たれ、亡くなった。2006年のこと、モスクワで起きた事件である
▼彼女は、新聞記者だった。48歳で、息子と娘を持つ母親だった。プーチン政権の暗部を暴く記事を、何本も書いていた。幾度も脅迫を受け、毒殺されかかったこともあった。それでも怯(ひる)むことなく、「私は書かなければいけない」と言っていた
▼ロシアの治安当局がチェチェンで、どんな非道な殺戮(さつりく)をしたか。反テロ戦争はいかにその隠れ蓑(みの)にされたか。彼女が明らかにしなければ、虐げられた人々の証言は永遠に闇に埋もれていたかもしれない
▼「知っておかなければいけない。真実を知ればみんな、居直りとは無縁になれる」。自著『チェチェンやめられない戦争』にそんな言葉がある。政権からすれば、まさに消えてほしい記者だったに違いない
▼彼女の死から18年。銃撃犯らは逮捕されたが、黒幕の存在はナゾのままだ。記者への弾圧はさらに強まっており、政権に都合の悪い人物の不審死も絶えない。ウクライナ侵攻では、ロシア軍の残虐行為が繰り返されている
▼きのう、プーチン大統領の5回目の当選が伝えられた。ポリトコフスカヤさんが身命を賭して、訴えた言葉を反芻(はんすう)する。
「勇敢でありなさい。そしてすべての物事を然(しか)るべき名前で呼ぶのです。独裁者は独裁者と」