平成五年入社前からコマツは私の一族を念入りに調べ上げ、(家系図も)、コマツに銭振り込みマシンだけの魅力(日本国憲法に由来)として、社内で人材育成することは非効率なので、社外で嬲り殺して、最悪、自死させることで、故・中曾根大勲位のご機嫌を取ろうと画策したのが、コマツ社長であった、片田哲也氏だね。
直属上司は、
山田荘一氏
http://www.komakawaobkai.sakuraweb.com/yakuinnosyoukai.html
当時、工作課主任
現在、コマツ川崎OB会 会長
配属初日から面罵されました。氏の背景には、小山工場人事部(筆谷欣五郎課長)がいらっしゃり、
https://www.advance-f.jp/buy/images/5b0eee3a8fcb89ccdfd8ca513778d7cf97ee8829.pdf
筆谷氏の人事を決断したのは、本社人事部長米山氏と本社人事課長浅野課長ですね。
当時のコマツ社長は、片田哲也氏であり・・・
片田氏の背景には、故・中曾根康弘氏がいらっしゃったのだと想われます。
以前にも話しましたが、平成五年に慶大を卒業し、小松製作所に勤務していた、慶大機械工学科森研究室の室員が私と高橋生和氏です。
私は平成五年十一月には狂気
高橋氏は、平成十一年に狂気(コマツ平塚研究所に勤務)。職を辞しました。
平成五年には既に、人工知能の雛形は完成しているので、
人工知能という機械頭脳で被験者等に、氏たちの情動を乱すよう命令を掛けたのは、コマツ人事部なのでしょうけれど。
以前にも申し上げましたが、ヒトの頭脳に人工知能を取り付けて、ヒトの頭脳を操って、暴利を貪る(私の場合は自然災害で)ことは違法性はないので、警察に相談しても無駄足に過ぎないです。
山田荘一氏の暴力行為・暴言行為は飽くまで、山田氏がそのような危険な行動・言動に出たのはサクラ役で、万が一、事の真相が暴かれて、山田氏が解雇されても、山田氏のその後の将来は裏金工作で盤石という担保があったのだと推測されます。
あとは、東京地方裁判所の裁判官を誑かすだけです。
事前に東京共同法律事務所(日本共産党系らしいです)
の
辯護士先生二人を買収した被告企業コマツは、益山家を事前に調べ上げ、まぁ、正直、私が益山家とは血縁関係が無く、士族の水落家と血脈があることも調べ上げたのでしょう。
※ 昨年(令和五年)に書き記しましたが、山田荘一氏と日本共産党員 〇〇女性党員は、裏金で繋がっていると推測され、私の母の死去後、山田氏の献金を受けて、謀ったのだと想われます。
水落家の旧家は九条家であり、皇族です・・・。
私の父方の伯父の妻、兄弟姉妹が皇室にゆかりが生年月日と名前が深いことは以前にも話しましたね。
後は、連日のように人工知能で制御された、私の心の聲に対する回答をNHKが解答していることをこの31年間、繰り返し続けたわけです。
小松製作所と公共放送局は事業提携者同士ですし、
小松製作所と文藝春秋社も文春新書として、小川啓之小松製作所社長の自伝を出版されている。
産業経済新聞社(フジサンケイ)(BS富士で報道していた、政治番組)のコマーシャルはコマツのコマーシャル
コマツとNHKと私を巡っては、NHKは飽くまで中立性を保っているかのように散見されますけれど。NHKと産業経済新聞社はライバル関係
コマツは神の正体を暴き、この世の理を熟知している大企業だが、完全には未来は分からない。
私への人工知能(神という名の人工知能)の制御は断念せず、黒字挽回のためなら、私一人の自死(日本国憲法の破棄)問題は寧ろ、コマツにとっては好都合だとの判断しか働いていない。
じゃ
と同時に
自衛隊航空機の爆音が流れる。
呂布(養父に二度、斬り殺す)のことを考えていると、
産業廃棄物業車の電子オルゴール❓が鳴る。
書き留めようか、書き留めないようにしようか迷っていると、
自動車の警告音が鳴る。
神曲・佛曲・・・🎵
或るいは、私の人工知能の制御装置である、スマートフォンを所持していて、私の心の聲に対して、呼応しているのか
何れか・・・
私の一連の事件を巡っては、主導は、岸田政権だね・・・
岸田はどうしても、憲法改正を実現したいが、私に問題提起し、問うたのであろう。
追記
コマツが新人時代、私の人事を謀った証拠とは❓
私の亡父は親鸞聖人の「歎異抄」の論票を書いて、文藝春秋社に筆記合格しているのですね。
つまり、私の倫理の土台は聖にあるわけですよ。
コマツは、悪魔が倫理の土台になっている、社歴30当時の山田荘一コマツOB会会長職を私の直属上司と決断したのは、
旧中曾根大勲位がマック憲法嫌いで政界で馴らし、総理という頂点を極めたからなのですね。
私の祖母と私が42年生まれであり、喜劇かどうかはよく知らないのだが。
万物の根源を表しているのは、神と悪魔なのですね。
私の守り神は、天使で
山田氏の守り神は、悪魔
デーモンはDemonでもあり、DEAMON でもあるのでね。
Deamon は、osのカーネルのコアのこと
私は山田荘一氏の生年月日は存じ上げないけれど。
恐らく、広島原爆投下前後の出生で、
1945年6月6日6時生まれではないのか、と推測しているのですがね。
逝く死後悪魔
は
何処へ逝くのか、確定しているので、腹癒せを山田氏に働かせるために、私を直属の部下にコマツが決断した可能性が高いのですよ。
つまり、
第三次世界大戦が勃発することは、中曾根大勲位が総理に就任した時点で確定事項であり、
アルマゲドンで世界は最期だから、たっぷり、じっくり、神の子、佛の子をいたぶってやるという適役に山田氏が適任だと政界からの配役ではないのですかね❓
目白台幼稚園の帽子は、赤ベレー帽でして・・・
それが、桐虎に繋がっていくのですね。
陸軍航空士官学校の卒業を前に旧満州で飛行訓練に励んでいた時、終戦を迎えた。東部の杏樹という街にいた私たち士官候補生数十人は、帰国が遅れてソ連軍の捕虜となり、他の兵士と共に東シベリアのタイシェト地区にある収容所に送られた。
収容所では第二シベリア鉄道建設のため、森林伐採や、れんがや枕木作りなど厳しいノルマに追われた。ある朝、目を覚ますと隣にいた年配の召集兵が黒パンのかけらを握ったまま死んでいた。1945年の冬は栄養失調や作業中の事故で死者が相次ぎ、小屋にはやせ衰えた裸の遺体が凍ってマネキン人形のように置かれた。次々に運び出しては凍土を掘って埋めたが、彼らの名前や出身地も聞かずじまいだった。
2度目の冬を越した頃から衣食住は次第に改善されたが、望郷の念は日増しにつのり、仲間の間では故郷の食べ物のことばかり話題にのぼった。この頃からスターリン礼賛のプロパガンダで埋まった「日本新聞」が配られ、思想教育が徹底された。
待望の帰国が実現したのは3年目の夏。ナホトカで帰還船永徳丸のタラップを駆け上がった時、私はようやく悪夢から解放された。
(岡山県、男性、95歳)
*2021年6月19日紙面掲載
朝日新聞の投稿欄「声 語りつぐ戦争」には、戦争を体験した方たちから今も投稿が寄せられています。
特設サイト(https://www.asahi.com/special/koe-senso/)では、2005年からこれまでに掲載した約1800件の投稿をお読みいただけます。投稿者が保存していた貴重な写真もご紹介しています
東京への遷都論を初めて提唱したのは江戸後期の経済学者、佐藤信淵(さとうのぶひろ)という。「王都を建つるの土地は江戸をもって第一とす」。約200年前に江戸を東京、大阪を西京とする統一国家構想を打ち出した
▲蘭学や農学、兵学などに通じ、鎖国の世にアジア進出を説いて戦前の国家主義者にもてはやされた異能の学者。「東京」に政府機関や陸海軍、大学を置き、国力向上を図る構想は明治維新の先取りともいわれる
▲交通の要所で諸国の物産が集まり、外洋につながる。長期にわたる首都にふさわしいと考えた学者の目は確かだったのだろう。維新後に遷都が実現し、大震災や戦渦を乗り越えて発展を続けてきた
▲今やニューヨークやロンドン、パリと世界的地位を競う。そのトップを決める都知事選に小池百合子(こいけ・ゆりこ)都知事が3選出馬を表明した。立憲民主党などが支援する蓮舫(れんほう)参院議員との「事実上の与野党対決」という
▲もっとも小池氏も裏金問題を抱える自民党とは距離を置きたいらしい。野党も一枚岩とは程遠い。自民党との接近を批判して対決色を演出したい蓮舫氏と、それをかわしたい小池氏のナラティブ(物語)の争いにも見える
▲政治でも相変わらずの男女格差が指摘される中、首都での女性対決は歓迎できる。国内総生産(GDP)が4位に落ちた国力を考えれば、2割を占める首都の役割は増している。一極集中の弊害を正しながら、魅力ある都市として繁栄を保つにはどんな政策が必要なのか。地に足がついた論戦を聞きたい。
東浩紀は、『訂正可能性の哲学』(ゲンロン)や『訂正する力』(朝日新書)などの最近の著作のなかで、次のようなカズオ・イシグロの言葉にたびたび言及している。
俗に言うリベラルアーツ系、あるいはインテリ系の人々は、実はとても狭い世界の中で暮らしています。東京からパリ、ロサンゼルスなどを飛び回ってあたかも国際的に暮らしていると思いがちですが、実はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていないのです。[★1]
東は、開放性を掲げるリベラル知識人が、実は同じ心情や生活習慣を持つ人々の中で閉じたサークルを作っている、という実態を批判する文脈でこの発言に触れている。確かにそれも重要な視点だろう。そのうえで、ここではイシグロがそれに続けて語った内容により注意を向けたい。
私は最近妻とよく、地域を超える「横の旅行」ではなく、同じ通りに住んでいる人がどういう人かをもっと深く知る「縦の旅行」が私たちには必要なのではないか、と話しています。自分の近くに住んでいる人でさえ、私とはまったく違う世界に住んでいることがあり、そういう人たちのことこそ知るべきなのです。[★2]
「横」ではなく「縦」。すなわち、「上下」の方向性への言及は、言うまでもなく社会階層、もっと言うならば所得格差による社会の分断の深刻さを象徴している。しかし、分断がもたらす閉塞性を打破するためには、リベラル知識人がこのような「違う世界(階層)の人びと」に目を向けるだけで十分なのだろうか。いや、それだけではダメで、より積極的な所得と資産、そして教育などの人的資本の再分配政策にコミットし、階層間の違い自体を縮小させなければならない、と主張するのが、トマ・ピケティの大著『資本とイデオロギー』である。
この本の原書が出版された当時から、日本でも大きなインパクトをもって受け止められたのが、章のタイトルにもなっている「バラモン左翼」という言葉だろう。これは、今世紀になり先進国の多くで左派政党が低学歴の貧困層ではなく、高学歴のインテリ層から多くの支持を集めるようになったことを批判する文脈で用いられたものだ。その意味で、「バラモン左翼」という言葉は、カズオ・イシグロや東浩紀が批判する、現代のリベラル知識人の閉じた関心のありかたをより痛烈に抉り出すものであり、だからこそ大きなインパクトをもって受け止められたと言ってよいだろう。
だが、邦訳を読むことができるようになった私たちは、ここでピケティがわざわざ「バラモン」というインド社会の身分制の用語を用いたことに、もう少し敏感になるべきかもしれない。すなわちピケティは、現在の先進国の状況が、バラモン(聖職者)とクシャトリア(貴族)との連合体が多くの富を独占したインドのように、前近代的な政治身分と、経済格差とが密接に結びついた社会に似てきていることに警鐘を鳴らそうとしたのである。このことを確認するために、本書の内容を簡単に振り返ってみよう。
本書は、まずヨーロッパにおける前近代的な身分制社会、すなわち聖職者・貴族・平民からなる「三層社会」の記述から始まる。そこでは宗教的権威と政治権力、そして経済力とが分かちがたく結びついていた。支配階級である聖職者と貴族は、安全保障と司法という領主権を行使する当時の最大の資産である土地を独占的に所有する経済的上流階級でもあったからだ。本書によれば、ヨーロッパであれインドや日本のようなアジア社会であれ、前近代的な身分社会においては、ほとんど変わらない構図が存在していた。
これに対して、近代化と産業革命によって成立した「所有権社会」は、理念上は経済活動にかかわる財産権と政治・司法にかかわる領主権とを明確に区別するものだった。建前上、財産権は全ての成人男性に対して開かれていたからだ。しかし、現実には過去の特権階級がそれまでに得た財産の権利は自然で不可侵のものとして保護されていたし、その「財産権」は奴隷の所有に対しても適用された。また、19世紀に拡大した欧米諸国による植民地支配は、一足早く所有権社会を確立させた先進諸国の人びととそれ以外の地域の人びとの格差を急速に拡大させた。このため、所有権社会が確立した近代社会は、それを支える財産主義イデオロギーが強固になるにつれて、それ以前の三層社会にもまして社会的・経済的な格差を拡大させていった。それが「危機」すなわち転換期を迎えるには、1910代から40年代にかけて、二度の世界大戦によって多くの地域で国土が荒廃するという悲劇を待たなければならなかった。大戦後の東西冷戦構造が、所有権社会のアンチテーゼとしての共産主義社会、さらにはその西側社会における代替案としての社会民主主義社会の成立を促したからだ。
しかし、冷戦の終焉とともにそのような所有権社会の「危機」は去り、それは新たな財産主義と強固な能力主義の神話に支えられたハイパー資本主義社会に進化を遂げる。このように、前近代の三層社会から現代のハイパー資本主義社会やポスト共産主義社会にいたるまで、格差を正当化するイデオロギーはそれぞれの社会の中に深く根を張ってきた。このイデオロギーの威力は非常に強固だからこそ、所得や資産などに対する累進課税をベースにした再分配政策を実施するためのゆるぎない制度を、強固な意志によって社会の中に実装しなければならない。これが本書を貫く姿勢である。
さて、20世紀半ばに社会的な平等を掲げた社会民主主義が、ヨーロッパの左派政党だけでなくアメリカの民主党によっても掲げられたとき、それらの政党はおおむね教育水準が低く、比較的所得が低いか、資産を持たないのも同然な有権者によって支持されてきた。しかし現代では、社会民主主義政党の後継者である左派政党の最大の支持層は、教育水準が高く、所得水準も比較的裕福な層へと移ってきている。高い教育水準によって文化的な特権を享受しつつ、人種やジェンダーなどの社会問題ではリベラルな価値観を掲げる左派政党の「岩盤支持層」こそが、現代のバラモンであり、彼らと能力主義を信奉する「商人右翼」とを二大支配階級とするのが現代版の三層社会である、というのがピケティの見立てである。
その結果、現代版の三層社会ではどのようなことが起きているのか。バラモン左翼が支持する左派(あるいはリベラル)政党は、商人右翼が支持する保守政党と激しく争い、交互に政権の座を奪い合う。しかし、そこで常に置き去りにされるのは平民=大衆であり、その多くはむしろ民族主義的な極右政党との親和性を示す「社会自国主義」に吸い寄せられる。この構図はヨーロッパだけでなく、南北アメリカや、日本やインドなどのアジア社会にも広く観測されることをピケティは豊富なデータを挙げながら指摘する。冒頭のカズオ・イシグロの発言も、このような構図を前提にしていることは明らかだろう。
では、現代において、なぜこのような前近代における格差イデオロギーの復活のような現象が起きているのだろうか。また、その現実に対して私たちはどのように対処すればよいのだろうか。そこで筆者が想起したのは、一見本書とは関連のなさそうな「日本資本主義論争」である。1920年代から30年代にかけて行われた「日本資本主義論争」とは、一般的には、講座派と労農派という、マルクス主義者の中での、社会主義革命の実現へと至る戦略の違いをめぐる路線対立として理解されてきた。
戦前・戦後を通じて日本共産党の主流を形成した講座派マルクス主義は、日本の現状を「封建的な前近代性」の残存によって近代資本主義の普遍的な発展コースから逸脱したものと考え、資本主義の正常な発展とその先の社会主義革命を目指すために、まず日本社会に残る前近代性(=封建遺制)の払拭を目指そうとする立場である。そして、このような「二段階革命論」に対抗する論陣を張ったのが労農派の論客だった。彼らは、後進国の日本でも近代資本主義のロジックはすでに社会に浸透していると考えた。このため、講座派のように前近代性の払拭にこだわるのではなく、資本主義によって生み出された格差や貧困などの問題を解決する、社会主義革命を目指すべきだと考えたのだ。この対立は、「アジアにおいて社会主義革命を目指すときに、マルクス主義という『普遍的』な理論をどう受容するか」という、後進地域の左翼に特有のアポリアから生じたものである。
解決のつかない難問のこと。 ギリシア語の原義は通路または手段のないことを意味する。 アリストテレスによれば,解決しがたい事柄をいい,一つの問いに二つの相反した合理的解答のあること。 現代では放置できない論理的難点をさす。
さて、ここまでの説明で、なぜ筆者がピケティの著作から「日本資本主義論争」を連想したのか、お分かりいただけただろうか。そもそも、戦前の日本でみられたような後進資本主義地域における「近代化」と「平等化」、およびその優先度をめぐる立場の対立は、決して過去のものになったわけではない。たとえば、「バラモン左翼」という言葉の由来になったインドの現状について考えてみよう。まず、インドが前近代的なカースト制の残滓を抱えている以上、西側先進国と普遍的な価値観を共有するのは困難であり、先進国との協調の下で経済成長と社会の平等を両立させるためには、まず前近代的なカースト制の払拭を目指すべきだ、という考え方がありうるだろう。これはいわば上記の講座派的な立場を引き継いだものである。
しかし、本書においてピケティは明らかにそれとは異なるアプローチを採っている。むしろ、格差を正当化するイデオロギーが社会的な不平等をもたらす、という現象こそが洋の東西及び前近代から現代までを貫く普遍性を持っているのであり、そこからの脱却を目指すのであれば、「前近代性」の払拭にこだわるよりも、すぐに格差イデオロギーの克服と所得の平等化を目指すべきだ──本書から受け取ることができるのは、そのような明確な姿勢だ。
この姿勢は、彼のカースト制に関する見解にも貫かれている。なぜならピケティは、インドが近代化を遂げた後においてもカースト制を払拭できなかった原因を、イギリスによる植民地統治、なかんずく国勢調査を通じた官僚的な階層把握が、伝統的なカーストの境界をはるかに硬直的なものにしたことに求めているからだ。すなわち、イギリス統治下のインドでは、多様なバックグラウンドを持つ「インド人」を「分割して統治する」ために、伝統的なカースト意識が、権利と義務の付与のための識別記号として用いられた。そのことによってもともと曖昧なものに過ぎなかったカースト意識が、より強固な集団的アイデンティティとなっていった、というわけだ。筆者はインド社会の専門家ではないので、この見解の妥当性を判断する能力はない。しかしここには、戦前の日本における「労農派」に接近する問題意識が容易に見て取れるだろう。そこには、カースト制というインドが抱える「前近代性」を、地域や文化に結びついた本質的なものとしてではなく、支配勢力が持ち込んだ格差イデオロギーによって暴力的に押し付けられたものとして理解する姿勢が貫かれているからだ。その姿勢は、本書の結論部分における以下のような力強い宣言に過不足なく表現されている。
本書で検討した格差レジーム史は、こうした政治―イデオロギー的変化を決定論的に見てはいけないことを示している。複数の道筋が常に可能であり、その道筋は短期的な出来事の論理と長期的な思想発展とに関連したパワーバランスに依存している。こうした思想発展が多くのレパートリーを生み、そこから危機の瞬間に広汎なアイディアが引き出される。(927頁)
ただしピケティ自身がいくらか自戒を込めて書いているように、こうした議論はヨーロッパに代表される先進国の文脈を前提とした時にこそ、もっとも説得力をもつことは否めない。言い換えれば、ある地域がかかえる固有の問題──それはしばしば「前近代性」の名残として認識される──よりも、資本主義と格差イデオロギーの普遍的な結びつきを重視するピケティの議論を後進資本主義国、あるいは非西洋地域に当てはめようとすると、私たちは戦前の労農派と同じ、いや、それ以上の困難さに直面することになる。
たとえば、インドにおいて現実に様々な差別に苦しめられている人びとに対して、それは資本主義と格差イデオロギーの結びつきによって起きている普遍的な現象なのであり、あなたが抱えている問題を解決するためには先進国の労働者と連帯して格差イデオロギーと闘うべきだ、と呼びかけたとしても、おそらく彼らの心には響かないだろう。実際の差別に苦しむ人にとって、問題は、あくまでもインドという地域の内部で起きている、地域固有の矛盾や「前近代性」がもたらすものであり、その払拭こそが切実な願いであるはずだからだ。
また、普遍的な平等主義に立った社会運動の難しさは、2019年におきた香港の民主化運動にもみることができる。2019年夏、逃亡犯の中国本土引き渡しを認める条例への反対運動をきっかけとして香港全体に広がった民主化運動は、広く内外の人々の関心を集めたが、20年6月、中国全国人民代表者大会における香港国家安全維持法(国案法)の可決・施行により、50年間続くとされた「一国二制度」「高度な自治」そのものが実質的に終焉する、という形で幕を閉じた。
一連の運動に参加した區龍宇などの左派知識人は、香港の民主化運動は香港、そして大陸の労働運動と連帯すべきだと主張していた[★3]。區らによれば、香港に長らく君臨してきた不動産・金融業界を中心とする財界と中国共産党の連合体こそ、香港の民主化に対する最大の障害となってきたからだ。彼ら香港の新しい支配階級は、香港の労働者や自営業者が政治的に力をつけ、中国本土の労働問題と連帯することを何よりも恐れているのだ、と。この區の主張が、ピケティの唱えるような普遍主義に基づく格差イデオロギー批判と共鳴するものであることは明らかだろう。
しかしながら実際の運動においては、参加した多くの市民や学生たちが「香港人」アイデンティティにこだわるあまり、香港の富裕層ではなく、「前近代的な」中国大陸からの移民たちを自らの「敵」とみなす誤りを犯してしまった。そのことが、デモに対する警察の暴力的な鎮圧への対抗という背景があるにせよ、一部抗議者による行き過ぎた暴力行為に対して運動内部からの歯止めが困難になる、という状況を作り出してしまったのだ。前出の區自身、同じ著作の中で一連の運動をそう総括している。このことは、ピケティの主張する普遍的かつ平等主義的な連帯が、実際の社会運動の動員力において、「敵/味方」を明確に分けるアイデンティティ主義の前にいかに無力であるかを示す、象徴的な事例ともいえるのではないだろうか。
もちろん、格差問題へのより強いコミットメントを主張する政治的スタンスと、膨大なデータを丹念に整理する実証的な研究スタイルとが有機的に結びついたピケティの著作が、日に日に分断が深まりつつある現代社会においてアクチュアルかつ普遍的な意義を持つものであることは言うまでもない。ただ、本書を単にアカデミズムの神棚の上に崇め奉る対象に終わらせないためには、その内容を一度私たちが住んでいる地域固有の文脈に置き換えて、徹底的に読み直す必要があるだろう。
★1 「カズオ・イシグロ語る『感情優先社会』の危うさ:事実より『何を感じるか』が大事だとどうなるか」、「東洋経済オンライン」、2021年3月4日。URL=https://toyokeizai.net/articles/-/414929
★2 同上。
★3 區龍宇『香港の反乱2019』、寺本勉訳、柘植書房新社、2021年。
資本とイデオロギー
トマ・ピケティ 著 山形浩生・森本正史 訳(発行:みすず書房)
梶谷懐
1970年生まれ。2001年、神戸大学大学院経済学研究科より博士号取得。神戸学院大学経済学部講師、助教授、神戸大学大学院経済学研究科准教授などを経て、現在、神戸大学大学院経済学研究科教授。専門は現代中国の財政・金融。著書に『現代中国の財政金融システム』(名古屋大学出版会、2011年、大平正芳記念賞受賞)、『日本と中国、「脱近代」の誘惑:アジア的なものを再考する』(太田出版、2015年)、『日本と中国経済』(ちくま新書、2016年)、『中国経済講義』(中公新書、2018年)『幸福な監視国家・中国』(高口康太との共著、NHK出版新書、2019年)などがある。
1 コメント
城山三郎の小説『官僚たちの夏』は、1960年代の初夏の場面から始まる。主人公の風越信吾は、通産省の秘書課長。自前でつくった人事カードを机に並べては配置をやり直し、後輩2人を本省から出す
▼彼らは出世コースを外れるかもしれない。だが「たいした損失ではない。省内に人材は溢(あふ)れすぎ、ポストは少なすぎる」。激務と知りながら、それでも理想に燃える若者たちが、キャリア官僚の道を次々と歩む。それが時代の空気だったのだろう
▼隔世の感がある。霞が関ではいま「官僚離れ」の潮流がすさまじい。国家公務員試験の志望者は減り続けている。総合職に今年合格した人のうち東大生は1割以下。せっかく入っても10年未満で辞める人が年100人以上もいる
▼「いまだに長時間労働が評価されている」「給与が低く、やりがい搾取」「自分たちの仕事が何につながっているのか見えない」……。人事院の諮問会議が職員らから聞き取った声を読むと、国の心臓部が抱えている病は重篤だ
▼長患いもある。以前から、未明までの残業は当たり前とされた。『官僚たちの夏』でも、異端の若手が言う。「簡単にいうなら、わたしたちは働きすぎですよ」。甘すぎる、と風越は嫌った
▼だがいまや、待遇などを改めることは必須だろう。キャリア官僚の学歴がどうだろうと構わない。転職も自由だ。だが国家のかじ取りを担う仕事に、若者が希望を見いだせないとしたら。この国の未来はどうなってしまうのか。危うい。
小松製作所の企業形態
とは
官僚組織の形態
と
同じ
東京都知事選(20日告示、7月7日投開票)は、立候補する小池百合子知事による都政を評価する機会になる。8年前、初当選した小池氏の公約は、「七つのゼロ」だった。その後、どうなった?
七つとは、待機児童▽満員電車▽残業▽ペットの殺処分▽介護離職▽都道沿いの電柱▽多摩格差――。ペットの殺処分は「ゼロ」を達成した。
犬や猫の殺処分は、就任前の203匹(2015年度)が、18年度に0匹になった(病気やけがによる衰弱など生育困難な個体を除く)。目標より1年早い達成で、それ以降も続いている。ボランティア団体と協力し、保護犬や保護猫の譲渡会を増やすなどしたという。
待機児童も激減し、就任直前の8466人(16年4月)が286人(23年4月)になった。保育施設の増設や保育人材の確保が進み、認可・認定保育所は2342カ所(16年4月)が3611カ所(23年4月)に。定員も、全体の約3割にあたる9万人以上増えた。
電車の混雑も、数字上は緩和した。東京圏(都内周辺)の鉄道の平均混雑率(通勤時間帯)は164%(15年度)が123%(22年度)になった。混雑率150%は「広げて楽に新聞を読める」程度、100%は「座席につくか、つり革や柱につかまることができる」程度。在宅勤務や時差出勤の推奨、都営地下鉄の車両増設などの効果も都は挙げるが、コロナ禍の影響が大きいとみられる。
一方、ゼロから遠ざかった項目もある。
都職員の「残業」は、1人あたりの月平均が、13・5時間(15年度)から16・8時間(22年度)に延びた。22年度はコロナ対応が続いており「毎月1千人以上の職員を保健所などに派遣していた」とし、影響があったと都は説明する。
深刻なのは、「介護離職」の増加だ。
都内で介護や看護を理由に離職した人は、21年10月~22年9月に1万4200人に上った。その5年前の約1・8倍だ(総務省の就業構造基本調査から)。都は、介護休暇制度を充実させた中小企業に対する奨励金支給やテレワーク導入支援などを進めたが、数字上は成果が上がらない。
都の担当者は、同時期に高齢者が約6万人増えたことを要因に挙げるが、施策の周知不足など「理由は複合的」とも分析する。
このほか、「都道沿いの電柱」は、地中化の達成度が38%(15年度末)から46%(22年度末)に。小池氏は、都が「センター・コア・エリア」と呼んで防災を重視する都心部については「100%達成した」と説明するが、進捗には時間がかかっている。
多摩地域が、公共インフラや公的支援制度などの点で23区より劣るとされる「多摩格差」については、明確な指標がなく、「これというゴールはない」(都政策企画局担当者)とする。多摩地域では近年、創業支援拠点「TOKYO創業ステーションTAMA」や体験型英語教育施設「TOKYO GLOBAL GATEWAY GREEN SPRINGS」などが開設される一方、子どもの給食費や医療費の負担などで差はみられる。
小池氏は7日の会見で、項目ごとに見解を述べた。介護離職については「しっかりした対応を進めていく、その礎を築いてきているのではないか」、多摩格差については、多摩都市モノレール延伸計画に触れ、「むしろ多摩の魅力を生かすことにつながるような施策を、これからも込めていく流れを作っております」などと話した。一方、同じ会見では、ゼロになっていない項目について「(公約は)『ゼロへ』と申し上げています」と強調する場面もあった。
介護離職者の増加について、淑徳大の結城康博教授(社会福祉学)は、介護が必要な高齢者の自然増や介護人材の不足などが背景にあるとみる。「東京はサラリーマン層が多く、親族や近所との相互扶助も希薄な傾向がある。介護をしながら在宅勤務できる職種も限られる。『働きながらの介護』には限界がある」と分析。減少には、親の介護が増える「管理職世代」が休みやすい環境作りが必要だと指摘する。「企業により高いインセンティブをつけるなどして介護休暇の取得率を上げなければ、今後、事態はより深刻になる」と警鐘を鳴らす。
一方、激減した待機児童について、保育園に子どもを通わせる保護者らでつくる「保育園を考える親の会」顧問の普光院亜紀さんは「財政力が高い東京は、保育士の処遇改善が他の自治体より抜きんでている。保育所などの無償化も国より手厚い」と評価する。
ただ、保育施設の急増で、施設の運営状態を検査する「指導監査」が行き届いていない面もあるとして「質の心配はある」と指摘する。「子どもの安全確保のため、数だけでなく質の確保にも力を入れる施策を期待したい」と話す。(松田果穂)