知らぬが佛
という諺があるように
自分にとって、未知なことに知ろうとする貪欲な姿勢も年齢の問題はあると思うけれど。
だって、日本は科学技術大国でもあったわけですけれど。
その担保は日本の場合は科学技術が飽くまで平和利用に限定的だとする制約があったのが周知の事実だったけれど。
科学の叡智が軍事利用も日本ですら加味するならば、
日本は経済大国第三位で、軍隊保有国家ですらない稀有な国家像を描いてきたけれど。
その国家像を左傾化しすぎた国家像だと揶揄する知識人も又、一般人である我々もそう思う人も意外と多いのだろうけれど。
何も核兵器が人類にとって、最終兵器だとする定義なんてないのだと思いますよ。
基本的に人間は警戒心の強い知的生命体で家の中に侵入してくるインベーダーに対して、攻撃的だから。
その特性は人類が何代に渡ろうが変貌のないヒトとしての特性であると思います。
ですから、学問体系、特に理系分野が産業化される場合にはまず、軍事利用を考える。
軍拡化も行き過ぎれば、軍縮せざるを得ないという性善説がこの先の人類の暗黙の方程式に適うかどうか・・・。
神学がすべてであった時代には地球環境における世界人口そのものも与える影響力もほぼ、なかったけれど。
神学に唾して科学に妄信し始めたのは、恐らく17世紀くらいから急激に科学的な天才・偉人が世界的に登場し始めた・・・。
神学という頚木を離れて、人類が自由を謳歌するということは翻って、科学技術の急激な発展に歯止めが利かなくなってくると同意ではないかしらね。
そのことは即ち、急激な軍拡化も進むことに繋がり、一触即発で人類が滅亡する危機到来時代は寧ろ、差し迫った未来でもそうであると私には思えますけれど。
そのシナリオは変えようがないのではないの?
じゃ