徒然なる儘に ・・・ ⑤

心機一転、新たにブログ再開です💕 雑談を書くことも多いですけれど・・・(主に、電子ゲーム・ネタ💕)、残りは【新聞記事】にコメントを入れています💕

科学者には主に二種類の人間がいますけれど。

◎神の存在を信じる科学者たち

 

科学者が生み出した、科学的産物の代償として、人類にとって、悲劇な結末を生み出した場合。

 

例)アインシュタイン博士

 

◎神の存在を信じない科学者たち

 

科学者が生み出した、科学的産物が人類にとって、悪影響を及ぼすことがない、正確には、その科学者が科学的産物を生み出した、生前中には、人類にとって、悪影響を及ぼす産物とは、成りえなかった場合、詰まり、自らの科学者の行為に罪の意識が生まれなかった場合、神の存在を強くは意識しない。

 

例)ジョン・フォン・ノイマン博士

 

よくは分からないけれど。博士は元々、ユダヤ人で、ナチスに追われて、米国に亡命した経緯があり、流石に、博士は命の危険に晒された経緯があったとは想われるので、神の存在を強く意識した、若き時代はあったでしょうけれど。神に対する強い意識の顕れとは、人間の贖罪意識に他ならないのですね。

 

罪を意識しない科学者は科学者と限らず、罪の意識に疎い、そういう人は神を意識しないけれど。

 

 

学校教育期間中では神学を学習した経緯はなくとも、日本社会を例に採るのであれば、競争社会は寧ろ激化しているとも思えますので、神がなんであるのかは互いに異なっていても、競争に勝つ、競争に負けるというより、勝敗に関わらず、寧ろ、実社会に於いて、敗北、その敗北が自らの落命を約束せずには居られないような致命的な敗北の場合、神を強く意識するのは、神学を学んだ、学んでいないの学習的背景とは無縁に夙に、幼少期の教育にどういう学童保育教育を受けたか、その幼少期の学童保育期間の時の幼少期教育が何教に属していたかで、強く意識する神が決まるのではないのか、と推測されますけれど。

 

では・・・💕

 

後は両親が朧気ながらには、何教に属していたか。何教に属していたとしても、親がどういう宗教教育を受けたかで、その宗教が複数の場合は、異教ではあっても、その異教を強くせざるを得ないのは、嗚呼、子ですけれど。

 

 

運命は宿命的で、

 

元々、人生に勝敗を問うのはナンセンスです。

 

何故なら、勝者もやがては死す運命にあるし、敗者も又、死す運命にあるとも思えますけれど。

 

どのみち、此の世は勝者、敗者に関わらず、死す運命にあるのは、勝敗を問うている訳ではないので・・・。

 

では、此の世は勝敗ではない。

 

矢張り、来世も勝敗には無関係だと推測され、浄土教であれば、浄土教信者は阿弥陀仏の下、全て救われるとしていますし。

 

 

基督教であれば、クリスチャンは永遠の命が約束されるとしか、されていませんけれど。

 

 

宗派によって、Jesus像が異なるのは、聖書が異なるからですね・・・。

 

 

此の侭、時間が経過すると、基督教を例にとるならば、

 

科学の進歩に宗教の方が歩み寄る姿勢が顕著になっていくのは、

 

私を例に採るのであれば・・・、

 

両親が生誕した時代では、大衆の多くは天文学を専門的に学んでいない大衆が多く、そのころであれば、天地創造は異教を問うていないのですね。

 

そして、私が出生のころ、月面着陸に成功するようになり、宇宙の存在というものが、周知の事実となり。

 

今のこどもであれば、宇宙の存在は当たり前となっている。

 

 

すると、世代間格差もあるのですけれど。

 

日本は情報格差が他国と比較するとあっては、それほどは深刻ではないので。

 

今の90歳以上の方々でも、幼少期の教育としては、天地創造であったとしても、日本にお住まいの90歳の方々であれば、宇宙の存在を全く知らない方々の方が少ないはずですので。

 

日本という国は、情報統制が比較的安易に行える国家なのも、国土自体の面積が他国と比較して、比較的小さいですし、言語自体にも方言はあっても、標準語を話せない国民も少なく、特に戦後、高等学校教育上に國が国民教育に力を注いだので、識字率は国民であれば、相当というか、先ず、100パーセントに近いほど、識字率は高い国家ですね。

 

今後は来世を朧気ながらには信仰していても、来世に必ず、救われる、或る意味、先進国側、夙に、国土面積が比較的小さな国家国民は来世を信じなくなるでしょうね。

 

何故なら、

 

宗教の方が科学に歩み寄って、戦略的に思想を変えていく、例えば、宇宙聖書の誕生とかがその理由ですけれど。Jesusが存命の時代であれば、死海文書が主ですけれど。その時代に宇宙を意識した聖書がその当時として、本当にあったのか、改竄疑惑が浮上してしまいますので。それが理由からですけれど。

 

詰まり、若いころであれば、基督教であれば、その宗派のことしか不明なのですけれど。年を取ると、異宗派のことも知るようになり、Jesusが宗教戦略上、像が異なることを知れば知るほど、本来のJesusがどうであったことは、余り、重要視されず、宗教戦略上の理由から自分に売られたJesusが実情はどうであったのか、基督教に関心を示せば、それは史実のJesusとは異なるのだ、とはっきりしていくことにより、来世ということを妄信する信者は減るでしょう。ある意味では、殉教者の減少といいますか・・・。

 

 

では・・・💕