戦前、日本軍が侵略して中国東北部に建国した、かいらい国家「満州国」を舞台に人体実験や細菌兵器の実戦使用をした
旧日本軍の細菌戦部隊「731部隊」について、部隊構成や隊員名、階級などが記録された「職員表」がこのほど、見つかった。所属人員と組織が記された資料が明らかになるのは初めてとみられるという。明治学院大学国際平和研究所の松野誠也研究員(日本近現代史)が国立公文書館に保管されている文書から発見した。
731部隊の正式名称は「関東軍防疫給水部」で、旧満州・ハルビン郊外に設置された。中国人やロシア人捕虜らの生体実験を行い、細菌兵器などを開発したとされる。敗戦直前に施設は破壊され、関連文書も焼却が命じられたため、現存資料は極めて限られ、実態は明らかになっていない。
公文書館に保管されていた文書は1940年8月の関東軍の組織改正の報告書で、「軍事機密」扱い。防疫部から防疫給水部に改称し、増員して組織拡充したことが書かれており、職員表はこの文書に添付されていた。
「関係者の『復権』解明の手がかりに」
職員表の筆頭には初代隊長の石井四郎軍医大佐の名が記され、幹部97人の氏名、所属、階級が並ぶ。松野さんは「大学から派遣された医学者が『技師』として、幹部に多く名を連ねているのが特徴だ」と指摘する。
80年代に発見された毒ガス人体実験の報告書に、担当者として記載されていた元軍医少佐の名前も見つかった。元軍医少佐は「実験があった1940年にはまだ配属されていなかった」と生前述べており、主張を覆す根拠になると松野さんは見ている。
部隊の名簿については従来、終戦直前の隊員名や住所などが載った「留守名簿」の存在が知られていたが、部隊構成などは裁判での供述や個別の証言などから解明するしかなかった。
松野さんは「発足直後の部隊の姿が初めて明らかになった。これまで知られていなかった技師もおり、部隊関係者が戦後に医学界や製薬業界へ復権していった経緯を明らかにする手がかりになるのでは」と話す。
また、獣医関係者らが所属した細菌戦部隊「100部隊」(関東軍軍馬防疫廠〈しょう〉)の職員表も見つかった。731部隊以上に資料が少なく、研究の手がかりになると期待されるという。(後藤遼太、編集委員・北野隆一)
西山勝夫・滋賀医科大名誉教授(社会医学)の話
貴重な発見だ。1940年に作成された今回の「職員表」を含む軍の公文書は厚生労働省で長く保管されていたが、2017年に国立公文書館に移管され、19年ごろから閲覧が可能になった。公文書館所蔵資料のうち、私が2016年に開示を受けた731部隊(関東軍防疫給水部の通称)の「留守名簿」は1945年に作成されたものだった。留守名簿などで十分に追跡できなかったそれぞれの所属や人の出入りが、今回の職員表と突き合わせることで確認できた事例もある。731部隊での研究をもとに戦後、学位を取得した医学者も多い。医学界や大学が731部隊の研究に関与し、戦後も自省しなかったのはなぜか、今後も資料を発掘し検証する必要がある。
▼731部隊の実態は、生存者の証言や研究者の努力で、その全体像の解明は進みました。
他方、100部隊はハバロフスク軍事裁判での供述などがあるだけ。
傷病軍馬の治療防疫の「研究機関」の内実は闇の中でした
▼職員表は、明治学院大学国際平和研究所の松野誠也研究員が
「昭和十五年軍備改変に拠(よ)る編成(編制改正)詳報(其二)」
という文書から発見。
「国立公文書館に通い、粘り強く地道な資料調査を繰り返すなかでようやく見つけた」貴重な1次資料です
▼赤い字で「軍事機密」の印がある「軍馬防疫廠将校高等文官職員表」には、階級別に36人の氏名が。
「獣中尉」の「逆瀬川貞幹(さかせがわ・さだもと)」ら戦後大学の獣医学部教授になった人物も多数います
▼どんな論文を書いたか。回想録があれば何を語り、なぜ語らないのか。闇の部隊が担った軍事的役割を探る地道な研究・検証はこれからです
▼岸田政権による学問・研究に軍事を持ち込む戦前回帰の動きが強まるなか、松野氏は危機感を強めて話します。
「歴史研究者の使命とは歴史の真実、とくに悲惨な戦争の実態や加害の歴史の真実を明らかにすること。その過ちを繰り返さない土台をつくることです」