山には季節ごとの顔がある。春は「山笑う」、夏は「山滴る」、冬は「山眠る」。山の四季はかく描くべし―。郭熙という中国・北宋の山水画家が残した教えである。日本では季語として知られている。秋は「山粧(よそお)う」という。
▼海に「笑う」や「粧う」の表現があるのか寡聞にして知らない。海の四季に敏感なのは、目よりも舌の方だろう。<全長に回りたる火の秋刀魚(さんま)かな>鷹羽狩行。味覚に加えて、目耳鼻をも喜ばせる名句である。秋を告げる海の使者を、食卓に迎えたご家庭は多いかもしれない。
▼わが家でもつい先日、脂の乗ったサンマを大根おろしとスダチでおいしく頂いた。「北海道産など1尾138円」。新聞の折り込み広告を見た家人が、慌てて近所のスーパーに駆け込んだところ、残りわずかだったという。遠いところをようこそ。
▼近年の不漁は今季も続くようで、漁場にやって来るサンマの量は低水準となる見通しだという。北海道・根室では、先月半ばの初水揚げで史上最高となる1キロ当たり14万円あまりの値がついたと聞く。かつては庶民の味、いまや「高級魚」である。
▼当方がお目にかかったサンマは破格の安値かもしれない。旬の味を乗せた舌はさらに欲が深くなる。食後に残ったのは、満足感でなく口ざみしさだった。「秋刀魚も人間も秋という舞台に立って、心にしみる味覚となるのである」。大正生まれの俳人、楠本憲吉はそう賛美した。
▼ぜいたくな句を詠んでいる。<秋刀魚食って胸焦(や)け辛(つら)き誕生日>。胸やけの後に待つのは「腹笑う」か「腹眠る」か。現代の食卓からは想像もつかない。多くの先人が詩や句に想を練ったサンマは立派な文化である。「秋刀魚笑う」の豊かな海を、守らねば。