昭和天皇は戦後、訪中の意欲を持っていたとされる。「中国へはもし行けたら」。晩年に語ったという言葉が、元侍従長の入江相政氏の日記に書かれている。いかなる思いだったか。その意も引き継ぐ形で、平成の天皇が訪中したのは1992年だった
▼日本の天皇が、中国を訪れたのは後にも先にもこのときだけである。北京で天皇は日中戦争に触れ、「中国国民に多大の苦難を与えた不幸な一時期」があったと述べた。巨大な隣国との関係を考えるうえで、極めて重い節目であった
▼当時の外交記録が先週、公開された。機密を解かれた文書を読んで驚いたのは、日本の外交官たちが、天皇の訪中を何とか実現させようと踏み込んだ動きをしていたことだ。
「訪中より訪韓が先だ」
「尖閣問題がある」
といった反対論を抑えようと、報道機関に圧力もかけていた
▼外務省が、天皇の訪中を「戦後のけじめ」と位置づけ、対中外交の切り札にしたのはよく分かる。だが、歴史問題はその後も再燃をくり返した。両国関係が期待したように進まなかったのも事実である
▼現在の視点だけで、安易に過去を批判するようなことはしたくない。大切なのは、史実から何かを汲(く)み取ることだろう。
歴史家のE・H・カーは「歴史とは現在と過去との対話である」との名言を残している
▼天皇の訪韓はいまも実現していない。もし、あのときの訪中がなければ、どうなっていたか。もう機会はなかったか。「戦後のけじめ」の重さを、改めて思う。