2024-05-17 神は死んだ・・・😨 基督教 宗教・哲学 雑感 神曲・佛曲 ニーチェ 大作 ツァラトゥストラはこう語った 59の言語版 第1部 ツァラトゥストラは30歳の時、故郷を去って山に入り、10年間孤独を楽しんでいた。ある日、登ってくる朝日を仰ぎ、その光のように自分の持てるものを分配し、与えるべきことを悟って、山を下り、民衆の中に「下りて」いく。 その途中で1人の森の聖者に出会う。聖者はツァラトゥストラに人間たちのもとに下りていくのを思いとどまるように言う。彼は、聖者に自分はあなたのように仕えるべき「神」を持たないこと、自分は「人間を愛している」ことを告げて立ち去る。聖者と別れた後、ツァラトゥストラは、あの聖者はまだ神が死んだことを聞いていないのだ、という。彼は町の市場に立って、綱渡りの曲芸に浮かれている民衆たちに「超人」を説く。超人とは、神やその他の人間以外の原理に寄って、人間を克服するのではなく、人間自身の可能性に基づいて、現在の人間自身を克服するものである、と。かの神の死し超人は、呼応しあっている。しかし、現状に満足している民衆は彼の言葉に耳を貸さない。最初の日、彼の収穫は、道化師によって追い落とされた綱渡り師の死体だけであった。その死体を背負って、彼は山に帰る。彼は一般大衆に向かって教説を説くことの愚かさを悟り、友を求める決心をする。そこで彼は再び町に出て、「超人」を説き、若干の友を得る。「五色の牛」と言う名の町で、彼は精神の三段階の変化、どのようにして精神が駱駝となるのか、駱駝が獅子となるのか、そして最後に獅子が幼子になるのかということを語る。続いて、徳の講壇として、市民道徳の浅はかさを、世界の背後を説く者では、すべての超越的な世界、宗教的な彼岸の世界が勝手な妄想であること、を説く。友が弟子となると、彼は弟子たちが師の信者からさらに進んで、自律的な人間となることを期待して、彼らと別れる。 第2部 ツァラトゥストラらは、再び山に入って、歳月が流れた。ある朝、彼は「鏡を持った幼子」の夢を見る。その鏡には、自分の絵姿ではなく、嘲り笑う悪魔の奇っ怪な顔が現れる。彼は、彼の敵たちが、自分の教えを、超人の理想を歪め、危機に陥れていることを悟る。そこで、彼は再度山を下り、弟子たちを救おうと決心する。彼の愛する知恵は、「荒々しい知恵」である。ツァラトゥストラは、ナポリ湾に浮かぶイスキア島を思わせるような至福の島々を訪れて、説教を行う。彼は、学者、予言者、詩人など現在の人間のさまざまなタイプを代表するような人たちの偽善や欺瞞の批判を繰り返すうちに、自己批判を感じるとともに、人類の運命と痛感するようになる。彼の魂の逼迫感は、彼の内面の戦慄となる。その時声なき声が、彼に呼びかける。「おお、ツァラトゥストラよ、あなたの育てた果実は熟れている。熟れていないのは、あなた自身の方です。だから、あなたは再びあなたの孤独にもどりなさい。あなたはさらに熟れなくてはならないのです。」彼は、体中から汗が吹き出すのを覚えて、再び弟子たちに別れを告げ、彼らのもとを立ち去ることにする。 レナ・ハデス氏の絵画の載っているニーチェ著の2言語の本の表紙。出版:ロシア科学アカデミー 第3部 真夜中、至福の島の山の尾根を超え、山向の港を目指す。若い頃からの幾度もの旅路を思い起こし、孤独な漂泊者として見てきたものを振り返る。彼の見たものは、貧しさと汚れと惨めな安逸による人間の卑小化で、これらに対するは吐き気のするような気分を抱えて、彼は山に戻っていく。山に戻った彼は、七日間起きる力もなく、屍のように横たわっていた。目覚めたツァラトゥストラは、この吐き気が、人間の世界からの吐き気ではなく、一切合財を含めて人間的なものを絶対的に肯定する最後のいざないであることを知る。そしてそしてこの「然り」と笑う精神こそが、指輪の中の指輪、永遠回帰であると悟る。 第4部 ツァラトゥストラは、山上の洞窟の中で多くの歳月を過ごし、白髪となって最後の下降の時を待っている。彼は、自身が養成者、調停者、教育者であることを自覚する。ある日、救いを求める人間の叫び声を聞き、それを探しに出かける。彼は途中、八種類のより高い人間に出会う。右手の王と左手の王、老いた魔術師、法王、求めてなった乞食、影、良心的な学究、悲哀の預言者、そして騾馬がそれである。ツァラトゥストラは彼らを洞窟に招いて、晩餐の席を設ける。彼らは、憂い苦しみを払い落とし、笑い声に溢れ、「ましな人間」と呼ばれるようになる。そして、「生とはこれだったのか、よし、今一度」と叫ぶ。しかし、ツァラトゥストラが求めるものは、幸せではなくして事業、真夜中の酔歌ではなくして大いなる真昼における自己犠牲である。「永遠回帰」が、ただツァラトゥストラの存在によ、人間の殻に植え付けられたことを知る。彼はましな人間たちに対する同情が、彼に対する最後の誘惑であることを悟って、同情を克服する。最後に、鳩の群れと一頭の獅子がやってきたことで、彼は「徴が来た」と、別れのときがやってきたことを皆に伝える。 「いざ、獅子は来た。我が子は近い、ツァラトゥストラは熟した。我が時は来たー。これは我が朝、我が日は始まる。来たれ、今こそ、大いなる真昼!」 と叫んで、ツァラトゥストラは再び山を下っていく。