徒然なる儘に ・・・ ⑤

心機一転、新たにブログ再開です💕 雑談を書くことも多いですけれど・・・(主に、電子ゲーム・ネタ💕)、残りは【新聞記事】にコメントを入れています💕

春秋(6月29日) 2024年6月29日 0:00 [会員限定記事]

太平洋戦争末期の1945年7月初め、陸軍の少将らが東京帝国大学(現・東京大学)を訪れた。およそ3000人の部隊の司令部を本郷のキャンパスに置くための交渉だった。「自分達の死所」となろう。敗戦を予感していたのか、そう口にして協力を求めたという。

▼この場は「われわれの死所」と応じたのは総長の内田祥三。東京帝大卒で安田講堂も設計した建築家だ。「(帝大は)わが国最高の教育と研究という重大なる任務に、全責任を負うている」。毅然とした態度で断った。終戦後はGHQ連合国軍総司令部)による接収の要求も同じく拒んで学びやを2度、救うことになる。

内田祥三の代表作は?
 
東大建築の祖・内田祥三

内田はなんとも、安田講堂をはじめとする東京大学の建築では知られています。たとえばその作品は、安田講堂や東大総合図書館、東大工学部4号館、東大法学部3号館、東大農学部1号館、東大医学部1号館などなど……あなたがよく利用する建物も、もしかすると内田によるものかもしれません。
2021年12月24日

 

 

 

 

▼東大が授業料の改定をめぐり揺れている。現在、年間約54万円。物価高騰などに対応しながら教育・研究の環境を充実させようと、国が定める上限まで10万円余りの引き上げを検討している。あわせて授業料の免除を拡充し、奨学金を充実させて経済的困難を抱える学生に配慮するという。しかし、学生の不安は消えない。

▼およそ80年前、GHQは大学の言い分を尊重して接収をあきらめた。それは東大の世界における「地位」ゆえだと内田は後に振り返っている。教育機会の平等を保ちつつ、資金力ある海外の著名大学とも競わねばならない時代の授業料である。日本の文化の発達を止めてはならぬと体を張った内田ならばどう考えるだろう。