徒然なる儘に ・・・ ⑤

心機一転、新たにブログ再開です💕 雑談を書くことも多いですけれど・・・(主に、電子ゲーム・ネタ💕)、残りは【新聞記事】にコメントを入れています💕

男女を巡って、女性の方が社会進出が厳しい理由とは❓

男性ジェンダー、女性ジェンダーといっても、固定的なジェンダーではなく、変動するジェンダーなのであろうけれど。時代の流れで、男性ジェンダーも流動的だし、女性ジェンダーも流動的なのでしょうけれど。

 

何故、私のような初老男性が頭が硬いと言われると、

 

記憶の襞(偏桃体に疵付けられた、記憶の歴史)が昭和四十年代から始まっているからであろうけれど。

 

じぶんを支えているのは、生活環境と記憶の歴史なのでね。

 

幼い頃から肉体の性別と性別ジェンダーに適合するよう幼児教育を受けるのでね。

 

ですので、どうしても、肉体が女性であるという理由から、男性と伍すよう、教育機会を男性とは区別され、期待値の低い女性は、女性ジェンダーとして教育される、乳児の段階から、女性としての人生の始まりの入り口からして、ジェンダー区別ではなく、ジェンダー差別はあるのでね。

 

こういった、日本文化という性文化的閉塞ジェンダーを日常的に強いられる世の中では、個人が対社会に対峙することは実際のところ、従来ジェンダーという文化を破壊して、新ジェンダーの誕生とはそうは社会は動かない。

 

急進的にジェンダーを巡って、思想が変貌する人もいれば、保守的で伝統的男女のジェンダーを重んじる人も多い。

 

社会の文化を変貌させるのは、矢張り、政党支持率動向が尤も、大きいし、日本共産党の支持率がイマイチなのも、共産党は急進的すぎるからであろうね。

 

正しいことはどの党も仰るが、時代を牽引させることにお任せ政党とはまた、異なる。

 

人間は群集心理で文化を破壊し、想像するものだから。

 

群集心理を巧に操作し、その操作術に正義を見出せなければ、政府与党とは成れないであろう。

 

又、私的な生活に対する、日常感を私から申させていただければ、未知に対する、躍動感というのは、既に衰えているのは、矢張り、性能力の衰えと、日常生活に於ける、近未来の日常生活が脅かされるのではないのか、という警戒感の方が明日の期待感より強いからではないのかなぁ・・・

 

しなやかに伸びあがって、生きる季節を堪能する、日々の季節に躍動する、期待と忍び寄る老いで、

 

 

死を迎えることで未完成であることは分かりきっていても、此の世が美しい日常に翳りが入った、私としては、エンディングへの期待感、異性を愛する期待感より、死という暗黒が身近であったのは、この三十年間、ずっとそうであったし、少し、死という暗黒さが色褪せてきたとは思えるものの。

 

最早、何の道を進むにしても、社會の方から、入門をお断りしますという、年齢の壁が矢張り、厳しいのでね。

 

死ぬことは怖いけれど。

 

最早、此の世に未練はないという、そういった、差し迫った、気持ちが濃厚であった、この三十年間。

 

誰も、私に期待する人間は勿論いないし、なにより、私自身が私に、何も期待していないのだ。

 

じゃ