石畳の道を行く、大勢の人たちがいる。彼らの視線が一斉に向く先には、赤ん坊を抱き、頭を丸刈りにした若い女性――。誰でも一度ぐらいは見たことがあるかもしれない。第2次大戦の末期、ドイツ軍が撤退した直後にフランスの街で撮られた写真である
▼女性はナチスの協力者とされ、町中を引き回され、あざ笑われている。憎しみからか、愉悦か。嘲笑とはかくも如実に、人間の暗い心を映し出すものなのか。撮影者は20世紀で最も名の知られた報道写真家、ロバート・キャパだ
▼ノルマンディー上陸作戦など、緊迫した戦場の実相をカメラに収めたキャパだが、銃後の市民たちの姿も数多く写した。戦争の醜悪さ、不条理さをじわりと伝える作品も少なくない。丸刈りの女性の写真はその一つだろう
▼「いったい正義はどちらにあるのかという、鋭い問題がこの一枚の中には込められている」。作家の沢木耕太郎氏は『キャパへの追走』に書く。「『義』があるのは町の住人なのか、それとも引き回される母子の側なのか」
伝説の戦場写真家の足跡をたどる巡礼の旅
キャパがその激しい一生で
捉えた一瞬の数々、
その足跡を辿り、同じ現場に立つ。
◆写真史上もっとも有名な作品のひとつ「崩れ落ちる兵士」をはじめ、数多の名作を撮影した伝説の戦場写真家、ロバート・キャパ。著者は学生時代よりキャパにシンパシーを抱き、評伝の翻訳、写真集の監修など、その生涯を追い続けてきた。
2013年の『キャパの十字架』では、「崩れ落ちる兵士」の撮影の真相に迫り、その作品の秘密がキャパに背負わせた“十字架”を感動的に描き切った。
本書で著者は、キャパが故国ハンガリーを出てから、最期の地インドシナに至るまでの人生すべての旅路をたどり直す。キャパが生涯で残した数多の写真の撮影場所を可能な限り探し歩き、同じ角度で現在の光景を撮影したのだ。
キャパの実質デビュー作であるデンマークでのトロツキーの撮影から、運命のパートナー、ゲルダ・タローと出会ったパリ、スペイン戦争での数々の名作、第二次大戦のノルマンディー上陸作戦やパリ解放、唯一の来日から最期の地インドシナまで、著者は世界中を旅して、キャパがレンズを通して見たものを追体験する。そして旅の最後には、ニューヨークに眠るキャパの墓へ……。
世界中を追う「キャパへの旅」で、キャパが歩みつづけた「勇気あふれる滅びの道」すべてを巡礼することで、人間・キャパの全体像が見えてきた。
著者の永年にわたるキャパへの憧憬を締めくくると同時に、今までにない形の紀行・人物ノンフィクションを提示する大作。
解説は、姉妹作『キャパの十字架』取材に多大なる協力をした、写真家・田中長徳。
▼悲しいことに、いまもこの世界では非道な殺戮(さつりく)が絶えない。どうして人間は戦争を止められないのだろう。ガザで、ウクライナで、スーダンで……。それぞれが掲げる正義の下、多くの血が流れ続けている
▼キャパは40歳のとき、インドシナでの従軍取材中、地雷を踏んで亡くなった。ちょうど70年前のきょうのことである。有名な言葉が残っている。「戦場カメラマンの一番の願いは、失業することだ」