徒然なる儘に ・・・ ⑤

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「沖縄の現状は、御霊を慰めているでしょうか」慰霊の日に玉城知事 小野太郎 谷瞳児2024年6月23日 22時13分

 太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者らを悼む「慰霊の日」の23日、沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の県平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が営まれた。玉城デニー知事は「平和宣言」で、沖縄など南西諸島の自衛隊を強化する「南西シフト」に言及し、「悲惨な沖縄戦の記憶と相まって、私たち沖縄県民は、強い不安を抱いている」と訴えた。

 式典には、岸田文雄首相や衆参両院議長、県遺族連合会会長、在沖米軍関係者など約4500人が参列した。

 

 今年の沖縄全戦没者追悼式の「平和の詩」に選ばれたのは、宮古高校3年の仲間友佑さん(18)の作品「これから」。未来に希望をもてる世界を願う気持ちを込めたという。

     ◇

 「これから」

短い命を知ってか知らずか

蟬(せみ)が懸命に鳴いている

冬を知らない叫びの中で

僕はまた天を仰いだ

 

あの日から七十九年の月日が

流れたという

今年十八になった僕の

祖父母も戦後生まれだ

それだけの時が

流れたというのに

 

あの日

短い命を知るはずもなく

少年少女たちは

誰かが始めた争いで

大きな未来とともに散って逝った

 

大切な人は突然

誰かが始めた争いで

夏の初めにいなくなった

泣く我が子を殺すしかなかった

一家で死ぬしかなかった

誰かが始めた争いで

常緑の島は色を失(な)くした

誰のための誰の戦争なのだろう

会いたい、帰りたい

話したい、笑いたい

そういくら繰り返そうと

誰かが始めた争いが

そのすべてを奪い去る

 

心に落ちた

暗い暗い闇はあの戦争の副作用だ

微(かす)かな光さえも届かぬような

絶望すらもないような

怒りも嘆きも失くしてしまいそうな

深い深い奥底で

懸命に生きてくれた人々が

今日を創った

今日を繫(つな)ぎ留めた

両親の命も

僕の命も

友の命も

大切な君の命も

すべて

 

心に落ちた

あの戦争の副作用は

人々の口を固く閉ざした

まるで

戦争が悪いことだと

言ってはいけないのだと

口止めするように

思い出したくもないほどの

あの惨劇がそうさせた

 

僕は再び天を仰いだ

抜けるような青空を

飛行機が横切る

僕にとってあれは

恐れおののくものではない

僕らは雨のように打ちつける

爆弾の怖さも

戦争の「せ」の字も知らない

けれど、常緑の平和を知っている

あの日も

海は青く

同じように太陽が照りつけていた

そういう普遍の中にただ

平和が欠けることの怖さを

僕たちは知っている

 

人は過ちを繰り返すから

時は無情にも流れていくから

今日まで人々は

恒久の平和を祈り続けた

小さな島で起きた

あまりに大きすぎる悲しみを

手を繫ぐように

受け継いできた

 

それでも世界はまだ繰り返してる

七十九年の祈りでさえも

まだ足りないというのなら

それでも変わらないというのなら

もっともっとこれからも

僕らが祈りを繫ぎ続けよう

限りない平和のために

僕ら自身のために

紡ぐ平和が

いつか世界のためになる

そう信じて

 

今年もこの六月二十三日を

平和のために生きている

その素晴らしさを嚙(か)みしめながら

 
コメントプラス
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    井本直歩子
    (元競泳五輪代表・途上国教育専門家)
    2024年6月23日12時40分 投稿
    【視点】

    心にずんと響き渡る、静かで真っ直ぐで、力強い詩に感動しています。 蟬と少年少女の短命な運命を重ね合わせ、無情と絶望の中にも、平和への希望を見つけようとする決意がひしひしと伝わってきました。 まるで映像を見ているように、79年前の情景が、今のガザやウクライナや世界各地の紛争と重なって頭に思い浮かんできます。 同時に、日本人としての使命も思い起こされるのです。 悲観的にならず、凛として立ち向かわなければならない。 仲間さんの意思に背中を押される気分になりました。

 

 

 

 

 

 

 沖縄戦戦没者らを悼む「慰霊の日」の23日、沖縄県糸満市の県平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が開かれた。

 玉城デニー知事は平和宣言で、「自衛隊の急激な配備拡張が進められており、悲惨な沖縄戦の記憶と相まって、私たち沖縄県民は、強い不安を抱いています」と自衛隊の「南西シフト」への懸念に今年も言及。「辺野古新基地建設の断念など、基地問題の早期解決を図るべきです」とも述べた。

 そのうえで、「核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立に向けて、共に絶え間ない努力を続けよう」と訴えた。

 

 平和宣言の全文は以下の通り。

     ◇

 あの忌まわしい悲惨な戦争が、かつて、この美しい島で繰り広げられました。

 鉄の暴風といわれるおびただしい数の砲弾による空襲や艦砲射撃により、私たちの島は、戦火に焼き尽くされ、多くの尊い命が失われました。

 私たちは、あの悲惨な体験から戦争の愚かさ、命の尊さ、平和の大切さという教訓を学びました。

 あの戦争から79年の月日が経った今日、私たちの祖先(うやふぁーふじ)は、今の沖縄を、そして世界を、どのように見つめているのでしょうか。

 広大な米軍基地の存在、米軍人等による事件・事故、米軍基地から派生する環境問題など過重な基地負担が、今なお、この沖縄では続いています。

 加えて、いわゆる、安保3文書により、自衛隊の急激な配備拡張が進められており、悲惨な沖縄戦の記憶と相まって、私たち沖縄県民は、強い不安を抱いています。

 今の沖縄の現状は、無念の思いを残して犠牲になられた御霊(みたま)を慰めることになっているのでしょうか。

 かつて、沖縄の本土復帰にあたり、日本政府は、「沖縄を平和の島とし、わが国とアジア大陸、東南アジア、さらにひろく太平洋圏諸国との経済的、文化的交流の新たな舞台とすることこそ、この地に尊い生命を捧げられた多くの方々の霊を慰める道であり、沖縄の祖国復帰を祝うわれわれ国民の誓いでなければならない。」との声明を出しました。

 この声明を想(おも)い起こし、沖縄県民が願う、平和の島の実現のため、在沖米軍基地の整理・縮小、普天間飛行場の一日も早い危険性の除去、辺野古新基地建設の断念など、基地問題の早期解決を図るべきです。

 世界に目を向けると、今なお、争いは絶えることなく、ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルパレスチナ情勢など、戦争という過ちを繰り返し続けています。

 東アジアでは、米中対立や中国の軍事力の強化、台湾や朝鮮半島を巡る問題など、自国の軍事増強により、抑止力の強化がかえって地域の緊張を高めている一方、経済面での緊密な結びつきが併存するなど、安全保障環境が複雑化しています。

 世界の平和と安定に向けて、各国・各地域に求められているのは、それぞれの価値観の違いを認め合い、多様性を受け入れる包摂性と寛容性に基づく平和的外交・対話などのプロセスを通した問題解決です。

 私たち沖縄県民は、万国津梁(しんりょう)の精神で、近隣諸国との交流により、信頼関係を築いてきた歴史があり、また、「命(ぬち)どぅ宝」「ユイマール」「チムグクル」など多様な価値観の受容、相互扶助といった精神文化を継承しています。

 「新たな建議書」「平和の礎(いしじ)」「沖縄平和賞」は、人類普遍の価値である平和を願う「沖縄のこころ」の表れであり、世界の恒久平和は、沖縄県民の切なる願いです。

 私は、沖縄が国際平和創造拠点となり、万国津梁の精神をもって、「沖縄のこころ」を国内外に発信し、世界の平和構築や相互発展、国際的課題の解決に向け地域外交を展開していくことが、地域の緊張緩和と信頼醸成に貢献し、世界の恒久平和に繫(つな)がっていくものと確信しています。

 国連ピース・メッセンジャーであり、自然保護や人道問題へ取り組む世界的な環境活動家でもあるジェーン・グドールさんは、「私たちの行動は、毎日必ず何かしらの影響を世界に与えています。どんな行動を取るかが“違い”を生み、どのような“違い”を生み出したいのかを決めなければなりません。」と語っています。

 一人ひとりの思いや行動は、たとえ微力でも、確実に世の中を変えていく力があると、勇気を与えてくれる言葉です。

 今こそ、私たち一人ひとりに求められるのは、不条理な現状を諦めるのではなく、微力でも声をあげ、立ち上がる勇気、そして、行動することです。

 先人から受け継いだ精神文化をもって、他者を尊敬し、思いやり溢(あふ)れる社会を造り上げ、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立に向けて、共に絶え間ない努力を続けてまいりましょう。

 わったー元祖(ぐゎんす)んかい誇(ちむふくい)ないる沖縄(うちなー)あらんとーないびらん。

 わったーや近隣(けーとぅない)ぬ諸国(くにぐに)とぅ交流(とぅぃふぃれー)っしちゃるたみ、信頼関係(どぅしびれー)ぬ仲(なか)までぃ積(ち)み上(あ)ぎてぃちゃる歴史(でー)ぬあいびーん。

 わったーや平和大切(ゆがふーゆーてーしち)にする精神(たまし)ぬあいびーん。

 わったーや価値観(ありましくりまし)ぬ違(ち)げーぬあてぃん互(たげー)に容認合(ちむあーし)ぬないる精神文化(ちむだまし)ぬ継承(ふぃちちじ)さっとーいびーん。

 沖縄県(わったーしま)が世界(しけー)ぬ恒久平和(ながゆがふーゆー)ぬ架橋(はしわたし)ないるぐとぅ一緒(まじゅん)っし目標(みやてぃ)んかい向(ん)かてぃいちゃびらな。

 We strive to make Okinawa an island we and our ancestors are proud of.

 We have a history of trust that has been established through exchanges with our neighboring countries.

 We bear hearts that cherish peace.

 We carry on the spirit of accepting diverse values.

 We, the people of Okinawa, shall together aim to be the bridge to world peace for all time.

 本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全ての御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、戦争に繫がる一切の行為を否定し、人間の尊厳を重く見る「人間の安全保障」を含めた、より高次の平和を願い続け、この島が世界の恒久平和に貢献する国際平和創造拠点となるよう、全身全霊で取り組んでいくことをここに宣言します。

◆しまくとぅば(沖縄の言葉)・英語の意訳

 私たちの祖先に対して誇れる沖縄でありたい。

 私たちは近隣諸国との交流により信頼関係を築いてきた歴史があります。

 私たちは平和を大切にする心があります。

 私たちは価値観の違いを認め合う精神文化を継承しています。

 沖縄県が世界の恒久平和の架け橋となるよう、ともに目指してまいりましょう。

 沖縄では1945年3月末に米軍が慶良間(けらま)諸島に上陸。3カ月にわたる地上戦が行われ、県民の4人に1人、日米合わせて約20万人が犠牲になった。6月23日は日本軍の組織的な戦闘が終わった日とされている。占領された沖縄は72年まで米施政下に置かれ、米軍基地が集中する構図ができた。

 さらに近年、中国の軍拡をにらんだ南西シフトで自衛隊駐屯地の新設や新部隊配備が相次ぐ。玉城氏は「沖縄の現状は、無念の思いを残して犠牲になられた御霊(みたま)を慰めることになっているのでしょうか」と問いかけ、「県民が願う平和の島の実現のため」として、国土面積の0.6%の沖縄に全国の7割が集中する米軍専用施設の整理・縮小や、米軍普天間飛行場宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画断念などを政府に求めた。

 そのうえで「価値観の違いを認め合い、多様性を受け入れる包摂性と寛容性に基づく平和的外交・対話」の必要性を語り、「恒久平和の確立に向けて、ともに絶え間ない努力を続ける」と宣言した。

 一方、岸田首相は「(米軍基地の集中による)負担の軽減に全力を尽くす」としたものの、昨年同様、辺野古には言及しなかった。辺野古工事の手続きをめぐって昨年末に異例の「代執行」に踏み切ってから初の沖縄入りとなったが、玉城氏との会談は式典前の10分ほどで、経済振興などについて意見交換した。

 この日は県内各地で戦没者を追悼する光景がみられた。沖縄で戦後最初に建てられた慰霊碑と言われる魂魄(こんぱく)の塔(糸満市米須)には、朝から多くの人々が訪れ、花を手向けて手を合わせていた。(小野太郎、谷瞳児)