徒然なる儘に ・・・ ⑤

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第6回 「ほら、男じゃないか」兵士から受けた屈辱、戦いへの参加決意した私 見えない明日 ミャンマー クーデターが壊したもの 2024年1月30日 10時00分

 クーデターは、自分らしくいる権利を根こそぎ奪った。性的少数者でも、生きやすくなると思っていたのに。

 体は男性として生まれたトランス女性のソーハンヌウェウーさん(30)は、半年前からミャンマー東部カヤー州で国軍に抵抗する民主派武装勢力「カレンニー国民防衛隊(KNDF)」の戦いに加わっている。

【クーデター3年連載】 見えない明日 ミャンマー クーデターが壊したもの

国軍が全権を掌握したクーデターから、2月1日で3年。政変後のミャンマーでは、国軍による抑圧的な支配に終わりが見えず、社会の様々な要素が壊れ始めています。自由や未来を奪われた市民は、どのような困難に直面しているのか。現場から伝えます。

 武器は持たないが、前線の兵士に食料や医薬品を届ける役割を担う。

 「どれほど時間がかかるかわからない。でも、私も戦って『革命』を成し遂げたい」。背景にあるのは、身体的にも精神的にも虐げられた、3年前の記憶だ。

 軍政から民政移管した2011年以降、徐々に性的少数者への理解はミャンマー社会でも浸透し始めていた。21年2月のクーデター後は、各地でLGBTコミュニティーが国軍への抗議デモを行った。

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現在、東部カヤー州の民主派武装勢力に加わっているというソーハンヌウェウーさん(右)=本人提供

 ソーハンヌウェウーさんもこうした仲間や人権擁護団体のグループでデモに参加。平等であることや人権を奪おうとする国軍が許せなかった。

 だが同年9月、一緒に抗議活動をしてきた知人を国軍が拘束。関係者の居場所を聞き出したとみられ、自身も2日後に中部マンダレーで捕まった。扇動罪などで有罪判決を受けた。

屈辱的だった、男性の一人称

 尋問の際、兵士たちから銃床で殴られ、ナイフで切られた後に消毒液を浴びせられる暴行を受けた。

 さらに服を脱がされると、「ほら、お前は男じゃないか。なんで女の格好をするんだ?」と嘲笑された。当然のように男性刑務所に入れられ、男性用の囚人服を着させられた。

 もっと屈辱的だったのは、男性の一人称を使うよう強要されたことだ。ビルマ語で「私」は、男性は「チャノー」、女性は「チャマー」と言う。「私が普段のように『チャマー』を使うとちゃかされ、一段と殴られた」

 2カ月後に恩赦で釈放され、タイに避難できた。2年ほど過ごしたタイでは身の安全を感じられたが、国軍に抵抗を続ける仲間と行動したいと強く思い、昨年夏にカヤー州に入った。

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国軍に一時拘束され、暴行された経験などを語ったソーハンヌウェウーさん=本人提供

 ミャンマーでは昨秋、少数民族と民主派の武装勢力が各地で連携して国軍を攻撃し、カヤー州でも攻勢を強めている。「この3年間で戦いは今が最も激しい。前線の兵士を支え続けたい」

 ミャンマーでは同性愛が違法とされ、最大10年の禁錮刑などが科される。保守的な仏教徒が多いなか、性的少数者に対して「前世の行いが悪かったからだ」と信じる人も少なくない。

 南西部エーヤワディー管区出身のソーハンヌウェウーさんは、物心ついた頃から自らの性に違和感があった。「私らしさ」を押し殺してきたが、25歳の時に実家を飛び出し、500キロ離れたマンダレーに移住。服装を変えるなど女性として生活を始め、家族とは疎遠になった。

 取材には昨年12月末、オンラインで応じた。安全を理由に居場所の詳細は伏せた。薄暗い小屋にいた模様で、インターネットが何度も切れた。

表現や集会の自由、手にしたはずが…

 国軍と対立する民主派の「統一政府(NUG)」は22年、国軍に逮捕された性的少数者は少なくとも85人おり、死者は70人に上ると発表した。当然、カミングアウトができない人は含まれず、実際の数はより多いとみられる。

 ミャンマー性的少数者の支援を続けてきた「LGBT権利ネットワーク」で活動する男性(45)は、「11年以降のテインセイン政権、16年以降の国民民主連盟(NLD)政権では表現や集会の自由が生まれ、LGBTに関する啓蒙(けいもう)や権利擁護の活動もしやすくなった」と振り返る。

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ミャンマー最大都市ヤンゴンで2021年2月、国軍のクーデターに抗議するLGBTコミュニティーの人々=AP

 偏見や差別が根強く残る中、国会議員への陳情を通じて法改正などをめざしていた。社会ではLGBT関連のイベントが行われたり、性的少数者へのビルマ語の蔑称を使う人が減ったりするなど、少しずつ変化を感じ始めていた。

 だが、「21年のクーデターで、10年間の努力は水の泡になった」という。街中では兵士や警察が監視の目を光らせ、集会や声をあげる活動は不可能になった。

 男性によると、特にトランスジェンダーはクーデター以前、比較的理解が得やすい美容関係の仕事をする人が多かった。だが、政変後は不況で失職者が続出。「物乞いやゴミ拾い、民主派関係者の居場所を国軍に密告する情報提供者として生活する人がほとんどになった」と説明する。

 
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    仲岡しゅん
    (弁護士)
    2024年1月30日14時0分 投稿
    【解説】

    民主化されていない国々や、紛争下にある国々でのLGBTの苦境は深刻だ。 ただでさえ生活環境が不安定な中で、更に性別のあり方を否定されるという二重の苦しみを味わうこととなる。 他方で、社会の安定性や経済的な環境からすると、日本はLGBTにとって相対的に恵まれた国だとは思う。 しかし制度的な面では、決して開かれた状況とはいえない。 開発途上国から難民として日本へ逃げてくるLGBT当事者もおり、私もそういった難民たちの事件を担当したことがある。 現地での偏見や受けた暴力の凄惨さなどについて、当事者たちから詳しく聞かされた。 そうした人々は、日本はきっと民主的な先進国のはずだと期待し、一大決心をして逃げてきた人々である。 しかし、実際のところ、日本政府は難民に対しては非常に冷淡で、本来難民として救済すべき人々を見放していると言われても仕方がない状況だ。 LGBTの人権を守ることと、外国人の人権を守ることとは、ある部分では繋がっているのだ。 いわゆるLGBT理解増進法が昨年成立した。 しかし、まず理解増進しなければならないのは、LGBTの難民を見放している政府ではないかと思う。 遠い国の複雑な紛争について、日本政府が容易に提供できるような特効薬はない。 ただ、せめてそこから救いを求めて逃げてきた人々に対して、この国は温かく受け入れるだけの懐の深さがあるべきではないだろうか。 それは決してこの社会のマイナスではなく、むしろこの国の豊かさに繋がると私は思っている。