クーデターは、自分らしくいる権利を根こそぎ奪った。性的少数者でも、生きやすくなると思っていたのに。
体は男性として生まれたトランス女性のソーハンヌウェウーさん(30)は、半年前からミャンマー東部カヤー州で国軍に抵抗する民主派武装勢力「カレンニー国民防衛隊(KNDF)」の戦いに加わっている。
武器は持たないが、前線の兵士に食料や医薬品を届ける役割を担う。
「どれほど時間がかかるかわからない。でも、私も戦って『革命』を成し遂げたい」。背景にあるのは、身体的にも精神的にも虐げられた、3年前の記憶だ。
軍政から民政移管した2011年以降、徐々に性的少数者への理解はミャンマー社会でも浸透し始めていた。21年2月のクーデター後は、各地でLGBTコミュニティーが国軍への抗議デモを行った。
ソーハンヌウェウーさんもこうした仲間や人権擁護団体のグループでデモに参加。平等であることや人権を奪おうとする国軍が許せなかった。
だが同年9月、一緒に抗議活動をしてきた知人を国軍が拘束。関係者の居場所を聞き出したとみられ、自身も2日後に中部マンダレーで捕まった。扇動罪などで有罪判決を受けた。
屈辱的だった、男性の一人称
尋問の際、兵士たちから銃床で殴られ、ナイフで切られた後に消毒液を浴びせられる暴行を受けた。
さらに服を脱がされると、「ほら、お前は男じゃないか。なんで女の格好をするんだ?」と嘲笑された。当然のように男性刑務所に入れられ、男性用の囚人服を着させられた。
もっと屈辱的だったのは、男性の一人称を使うよう強要されたことだ。ビルマ語で「私」は、男性は「チャノー」、女性は「チャマー」と言う。「私が普段のように『チャマー』を使うとちゃかされ、一段と殴られた」
2カ月後に恩赦で釈放され、タイに避難できた。2年ほど過ごしたタイでは身の安全を感じられたが、国軍に抵抗を続ける仲間と行動したいと強く思い、昨年夏にカヤー州に入った。
ミャンマーでは昨秋、少数民族と民主派の武装勢力が各地で連携して国軍を攻撃し、カヤー州でも攻勢を強めている。「この3年間で戦いは今が最も激しい。前線の兵士を支え続けたい」
ミャンマーでは同性愛が違法とされ、最大10年の禁錮刑などが科される。保守的な仏教徒が多いなか、性的少数者に対して「前世の行いが悪かったからだ」と信じる人も少なくない。
南西部エーヤワディー管区出身のソーハンヌウェウーさんは、物心ついた頃から自らの性に違和感があった。「私らしさ」を押し殺してきたが、25歳の時に実家を飛び出し、500キロ離れたマンダレーに移住。服装を変えるなど女性として生活を始め、家族とは疎遠になった。
取材には昨年12月末、オンラインで応じた。安全を理由に居場所の詳細は伏せた。薄暗い小屋にいた模様で、インターネットが何度も切れた。
表現や集会の自由、手にしたはずが…
国軍と対立する民主派の「統一政府(NUG)」は22年、国軍に逮捕された性的少数者は少なくとも85人おり、死者は70人に上ると発表した。当然、カミングアウトができない人は含まれず、実際の数はより多いとみられる。
ミャンマーで性的少数者の支援を続けてきた「LGBT権利ネットワーク」で活動する男性(45)は、「11年以降のテインセイン政権、16年以降の国民民主連盟(NLD)政権では表現や集会の自由が生まれ、LGBTに関する啓蒙(けいもう)や権利擁護の活動もしやすくなった」と振り返る。
偏見や差別が根強く残る中、国会議員への陳情を通じて法改正などをめざしていた。社会ではLGBT関連のイベントが行われたり、性的少数者へのビルマ語の蔑称を使う人が減ったりするなど、少しずつ変化を感じ始めていた。
だが、「21年のクーデターで、10年間の努力は水の泡になった」という。街中では兵士や警察が監視の目を光らせ、集会や声をあげる活動は不可能になった。
男性によると、特にトランスジェンダーはクーデター以前、比較的理解が得やすい美容関係の仕事をする人が多かった。だが、政変後は不況で失職者が続出。「物乞いやゴミ拾い、民主派関係者の居場所を国軍に密告する情報提供者として生活する人がほとんどになった」と説明する。