徒然なる儘に ・・・ ⑤

心機一転、新たにブログ再開です💕 雑談を書くことも多いですけれど・・・(主に、電子ゲーム・ネタ💕)、残りは【新聞記事】にコメントを入れています💕

🔔背琉苦のガッツを例に挙げるならば・・・(三浦氏は神の視点をもっていた❓だけに、神から死後、罰をうけたのかな・・・。蝿に生まれ変わったのであれば。三浦氏の作品は死後も著作物として、遺っている。読む意欲があれば、読むことは可能だが。想像力のみで現実感が或る意味でアヤフヤだが・・・。現実とファンタジーの接点はありますけれど・・・。三浦氏は精神的には健常者だったのであろうけれど。あれほどのペインが肉感として伝わってくるのは、三浦氏は肉体的に何かしら、患っていた可能性が高いね・・・。)

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ガッツは自らが生き残るためには、斃すしか為す術がない。

 

斃した数だけの亡霊にグリフィスが襲われ、ガッツは、人間以上の強敵(魔物)に特に蝕で襲われるのは、故・三浦氏ではないけれど。

 

因果の流れ・・・

 

 

三浦健太郎氏というのは、考えられようのない、智の巨人だと私は想うけれど、ね。

 

画力だけでも、人並外れているが。

 

 

享年五十四歳で亡くなったのは、グリフィスが三浦だったのか、それともガッツが三浦だったのか。

 

三浦のような異能者は、死亡年齢すら、異能ぶり・・・

 

もし、2023年6月6日午前6時頃、家の風呂場で現れた、蝿が三浦の生まれ変わりなのであれば、その蝿は三時間後には溺死していた。

 

私が想うに、神というのは、端から平等でしかなく・・・。

 

平等でない、生まれや才能があっても、人生や死因や生まれ変わりなどで、贖罪を果たせるまで輪廻は終わらない、超越的な存在、それが神なのではないのか・・・

 

私が天界を視たのは5分くらいであったが、その記憶も色あせ始めた・・・。

 

 

同時に、

 

自らの地獄変も少なくなった。

 

 

天界を視たい、という究極な欲求を自らが否定することは、恐らく、徳に相違なく、依って、現世に於いてでの天界を視ることへの惧れが、自らの望むところでない地獄の深さも又、減るのではなかろうか。

 

それは、一般的には脳科学の世界では、一個人の錯覚だと科学はそう判断するであろう。

 

 

翻って、Jesusは啓蒙ではなく、天啓の聖人であったのだ。神への揺るがない想いというのは、私のように機械工学という尤も、神学から遠い者でも、或る意味では、罰として、神学という学問を修めていなくとも、そういう学問に触れる機会が増すように計らうのが、天の計らいという超越的で、人の手に触れられることのない、或る意味、童心のノスタルジーの一種なのか・・・。

 

さぁ・・・

 

分からない・・・