内村鑑三の名著『代表的日本人』に、読み手の思考力を試すような一節がある。いわく人類を苦しめる圧制政治には2種類ある。「すなわち専制的なものと投票箱によるもの」と。前者は分かる。後者の意味するものは何だろう。
▼「投票=民主主義」という自然な発想を、内村はこう戒めている。「投票箱のなかには、およそ圧制政治と名のつくものは全然入る余地がない、などと考えるのは軽率です」。世界の情勢に明るい読者諸賢なら、なるほどと膝を打つのではないか。
▼プーチン氏が通算5選を果たしたロシア大統領選である。ウクライナ侵略に異を唱える候補者はあらかじめ除外され、ウクライナの占領地では半ば強制的に投票が行われたと聞く。監視の効く電子投票もあり、中には、透明な投票箱が置かれた投票所もあったと報じられている。
▼投票箱の中に入り込む圧制の影を、ニュースでご覧になった方は多かろう。方便の達者なプーチン氏なら、「透明性の確保」とでも言ってお茶を濁しそうである。候補者を選べない〝選挙〟ゆえに、得票率87%を信任の証しと受け取る人はいまい。
▼強権に仕組まれた壮大な茶番であり、虚飾の臭いしかしない。不慮の死を遂げた反体制派リーダーの支持者の反旗なのか、投票所では放火もあったという。ロシアの素顔を知る上で最良の教材だろう。シェークスピアの戯曲『終わりよければすべてよし』にこんなせりふがある。
▼「われわれの罪悪は、美徳によって慰められることがなければ絶望するだろう」(小田島雄志訳)。両手を血に染めた指導者は、今回の圧勝を免罪符にする腹らしい。5期目を満了すれば実質的統治は30年になる。その前に、絶望を教える誰かが現れるだろうか。