賢治は享年三十七歳だったが。
人間というものは私が考える以上に、深くて、暗くて、地中深く、根をどっしりと降ろして、それで、そういった、明暗定からぬ、混迷と言いますか。水と油は溶け合いませんが・・・。
そういった、苦という油と楽という水を繰り返し混ぜることで、魂が身体を裂けさせる、そういった、苦渋の姿こそが本来の人間の生きる姿かもしれませんね。
安穏として、枕を高くして、睡眠導入剤を服用せずに、身体の楽を考える人は、それで心の安定が図れると、精神科医の話題を鵜呑みにして、精神薬漬けにされても。
私の亡父も亡母もそうだったように。
塗炭の苦しみの中で一生を遂げなければならぬ。
分かり切った最期を恐れて、連日連夜、心身ともの自己の健康祈願ばかりしている人々には、天国を超えた世界、地獄を超えた世界、精神そのものが身体から飛び出るようなそんな神秘的な体験も未体験の儘、生涯を閉じられてしまうとは実に勿体ない気がするのです。
苦なら楽を求めるのではなく、さらに、苦に突っ込む。
その習慣は亡父と私の直属上司であった、山田荘一氏に対して、感謝せざるを得ませんね。
だって、生きながらに、天使・悪魔と出会うなんて・・・。
故・三浦健太郎氏のベルセルクという作品の大海の一滴には私は触れたと思う。
才能の多寡は確かにあるけれど。
才能に恵まれれば、多くの敵に遭遇するし。
才能に恵まれなければ、多くの親友を得るのと異なる❓
結局、才能って、自らを苦しめる、惨憺しめるために才能なる、脳みそのお化けがあるのだと私は思うけれどね。
じゃ