徒然なる儘に ・・・ ⑤

心機一転、新たにブログ再開です💕 雑談を書くことも多いですけれど・・・(主に、電子ゲーム・ネタ💕)、残りは【新聞記事】にコメントを入れています💕

きょうの潮流 2024年4月24日(水)

2024年4月24日(水)

きょうの潮流

 戦火想望俳句。この言葉を俳人で文芸家の堀田季何(きか)さんに教わりました。戦時平時を問わず戦地や戦火に包まれた街の景を想像して作る句のことです

ja.wikipedia.org

 

 

 

▼堀田さんは本紙「俳壇」を2022年から2年間執筆。今年度からは「NHK俳句」に選者として出演しています。主宰を務める「楽園俳句会」は有季も無季も定型も自由律も全て可、多言語対応の結社です

 

▼13日に都内で開かれた「俳人九条の会』新緑のつどい」でも講演し、今こそ戦火想望俳句を作り広めようと呼びかけました。俳句は、凝縮した言葉で一瞬にして戦争の恐怖を脳裏に焼き付けられる、短さゆえに簡単に伝えられ、平和のバトンを次々に手渡していける、と

 

青春の「十五年戦争」の狐火 金子兜太 評者: 大牧 広

 「十五年戦争」、資源をまるで持っていない日本が資源獲得のため米英に戦争しかけた財閥のため長の自己保身のため、自分の国の弱さ貧しさを顧みず昭和六年の満州事変から昭和二十年の敗戦の日のまでを「十五年戦争」と呼ばれるのであった。
 十五年戦争を「大東亜戦争」を今でも呼ぶ人が居るが、この言葉は、当時の首相東條英機が「大東亜共栄圏」なる妄想に近い構想を打ち出した時の言葉で、今でもその言い方をする年配者に会うと、プロパガンダの恐しさを、つくづくと考える。
 さて、掲分の「狐火」、これが平和論者であった金子兜太が、みごとに、十五年戦争の「恐しさ、むなしさ」の気持がこめられていてまさに「狐火」なのである。
 金子兜太は青春の何年か、この「十五年戦争」にひっぱられた。トラック島に派遣されたのである。
 戦争に必須な「兵器」という意識が全く欠落していた事の上層部、ゆえに、兵隊達は紙のように白くなって可哀想でしたし、と事あるたびに話されていて、金子兜太のやさしい心情がつねに、こめられていた。
 戦争はまさに狐火、それも強いものにおもねり弱い者を虐げる。ちょうど、今の政治そのものと言わざるを得ない「狐火」であった。

※『現代俳句』2018年7月号金子兜太追悼特集「忘れ得ぬ一句鑑賞」より

評者: 大牧 広
平成30年9月5日

 

 

 

 

▼例として

 

 

池田澄子氏の句

 

〈春寒き街を焼くとは人を焼く〉

〈焼き尽くさば消ゆる戦火や霾晦(よなぐもり)〉

 

を挙げ、その師・三橋敏雄が戦火を想像で書くとはけしからんという風潮に対して「そこで死ぬかもしれない場がどのようなところなのかを、必死で想像するのは当たり前のことじゃないか」と反論したことを紹介しました

 

 

▼「想像力の欠如が戦時の戦争賛美や戦争協力、平時の戦争推進につながる」と堀田さん。自身にも

 

〈塀一面彈痕(だんこん)血痕灼(や)けてをり〉

〈ひややかに砲塔囘(まわ)るわれに向く〉

〈ぐちよぐちよにふつとぶからだこぞことし〉

 

等の句があります

 

 

▼もはやウクライナやガザの惨状は苛酷な現実です。かの地でも「戦争止めて」の悲願を込めて俳句が詠まれています。〈屋根なき家今朝までは誰かの家庭 L・ドブガン〉