自分という身が世俗的にどう判断されるかが草馬氏に採っては、尤も、重視傾向が強いと散見・・・
学問というか、躾は学童保育期から入るわけで、小学校入学と共に、学業開始となるわけですけれど。
勉学を進めるとあっても、学校に通学する目的手段として、世の中で大成し、富裕層層の一員とならねば、学問を修める意義がない
とは、80年代に教育業界で痛烈に批判に晒されたのですね・・・
私の亡父はマスメディアの人
で
元が違う、詰まり、家庭内環境が異なる訳ですね。
父親が言論界の人だと、批判ということが常にその子には念頭にあるし、
父親が教育界の人だと、世俗的な栄達ということは余り、子には重要視されない
草馬氏の亡父は家具職人で商売人なので、例えば、哲学ということが学問上の哲学を意図するのではなく、人生哲学を意味し、その人生哲学を著した、書籍が売れ筋ではないと抑々が勉学を積み重ねる意味もないし、勉学がカネの裏付けにならねば、勉学を続けていくことを投げて仕舞われる・・・
政治家の子なら、世俗的な成功が子にとっては、支柱になるだろうし。
父親が世の中で稼ぐならば、父親像が子には、価値観の支柱となるケースが多い。