自民党岸田派の名称「宏池会」は1957年に池田勇人が創設した際、陽明学者の安岡正篤が命名した。語源は漢籍の「高光の榭(うてな)に休息し、以(もっ)て宏池に臨む」。余裕しゃくしゃくたる様子を表すという。後に首相となった池田も含め、輩出した首相は5人にのぼる。その伝統派閥の解散を岸田文雄首相が表明した▲自民党各派パーティーに伴う裏金事件を巡り、岸田派は元会計責任者が立件された。首相は「事務的ミス」と釈明したが、自身のけじめを追及されることは必至だ。政権発足後もつい最近まで、派閥を離れずにいた首相である。突然の解散は「余裕ある様子」どころか、政権の危機に追い込まれての転換にみえる▲岸田派に続き最大派閥の安倍派や二階派も解散を決め、同調する動きが広がった。だが、首相は党総裁でありながら残る派閥に解散を呼びかけないという。なぜ、自ら責任を取ろうとしないのか▲事件の捜査は、高額の裏金を受領した議員や派閥の会計責任者らの立件で終わりそうだ。ただし、事務方が一存で多額の違法行為を判断していたなどとは誰も思うまい。派閥幹部らがどこまで関係したのか。説明の不在に国民のいら立ちは募るばかりだ▲宏池会といえば加藤紘一
元幹事長(故人)が森喜朗内閣倒閣に無残に失敗した2000年の「加藤の乱」も思い起こす。それでも党のあり方を変えようとした挑戦だった▲今度はどうか。
まやかしの改革に終わらぬよう目を凝らして吟味したい、にわか派閥解消劇の行方だ。