釈尊は生後3日目で、国王夫人であられた、摩耶夫人を亡くされますから・・・
釈尊の学びの対象としては、父である国王を中心として、宮女が多かったのでしょうけれど・・・。
若き釈尊の尤も苦手とされたのは、敵対相手の部族(コーサッカ族❓)の軍人の生首を釈迦族の国王に釈迦族の軍人が国王広間で眼前として、国王に差し出すので、その生首を目撃しなければならぬ、王子としての釈尊は堪らなく、そのことに恐怖心とその生首のお貌を目撃されている内に、何やら、霊の中でも悪霊をお感じになられたのではないでしょうか❓
何一つ不自由しない身分である、王子から通常考えれば、出家の道を選択し、当時は戦災の嵐であった、国風を考慮に入れても、若き釈尊の身分が王子という高貴で類まれなる、その身分を捨てられ、出家の道へと歩まれるのは、平和裏での日本では考えられないほどの覚悟が釈尊にはおありだったのでしょう。
2024/03/08 (金) の日刊ゲンダイに直木賞作家五木寛之氏(91歳)が釈尊を中心として、仏教(原始仏教)を熱く語られていらっしゃったけれど。
恐らく・・・。
眼にするもの・・・。記憶に強く留まる此の世の森羅万象は生年月日の楔でほぼ決まっているのか。