「その一つ一つが、国家を形づくっている石垣です」。公文書管理法の生みの親ともいえる福田康夫元首相は、公文書を城の石垣にたとえる。相次ぐ改ざんなどで、その石垣が揺らいでいる。国民共有の知的資源で、説明責任が求められる公文書。適切な管理に最も重要なことは「政治を介入させないこと」だと話す。
――官房長官、首相時代を通じて公文書管理法制定(2009年成立、11年施行)への道筋をつけました。
「01年の小泉内閣発足時、新しいことを始めようじゃないか、と総理から呼びかけがあり、官房長官として公文書管理法の制定を提案したら『それはいいんじゃないか』と。そこから本格的に準備を始めました。07年に私が総理に就任後、上川陽子氏(現外相)を公文書管理担当相に任命し、有識者会議を設置して法案成立に向けて一気に加速させました。欧米に比べるとかなり遅れましたが、ようやくスタート地点にたちました」
――なぜ公文書問題に取り組んだのですか。
「国家として歴史の事実の記録をきちんと残していく。それは当然のことです。事実を知ることは民主主義の原点、民主国家の義務です。しかし、その基礎となる法律が日本にはなかった。民主主義国家として恥ずかしいことです」
「米国の公文書館には国の歴史が詳細に保存され、それを国民が容易に見ることができる。国家がどのような歴史を経て今の形になったのか。事実の積み重ねを具体的な生の記録を通じて知ることで、歴史の事実を実感をもって理解してもらうことができる。それが、国民の国家への信頼につながり、対外的な信用も生まれる。その記録の豊富さ、閲覧のしやすさなどに驚かされました。日本にもこういうものをつくらないと、と痛感しました」
――公文書を見ればその国がわかるということですか。
「小さい事実、歴史の記録の一つ一つがお城の石垣のように積み上がって国家を形づくっている。その石垣が公文書です。公文書を通じてその国がどういうものかが読み取れる。その国がどんな歴史を経て今に至ったか、その姿を後世にきちんと引き継ぐ、その基礎となります」
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――11年の東日本大震災では、当初、原子力災害対策本部などの議事録を作っていませんでした。
「震災が起きたのは、法律が施行される1カ月ほど前のことです。未曽有の大惨事に政治と行政はどう向き合ったのか。後世の教訓になるべき貴重な事実が記録されていないなど、考えられないことです。当時は民主党政権でしたが、なぜ、記録しなかったのか。原発事故という災害に直面して政治も行政も混乱していたことは理解します。ただ、法律自体はできていたのですから、当然記録をつけるべきだった。もっと言えば、法律があろうがなかろうが、記録を残すべきでした」
――政治の責任はどうですか。
「大きくいえば、政治の責任です。きちんと記録を残すよう関係省庁に促したのかどうか。記録がないと、後々検証ができません。検証できなければ、教訓を後世にいかすこともできません。今回の裏金問題も同じ構図といえます。なぜ、このようなシステムができあがったのかを解明し検証しないと有効な対策がとれない、と野党が国会で追及している通りです」
「最も極端なケースは、敗戦直後に各省などで資料が一斉に焼却されたことです。戦争責任の追及を恐れた政治指導者が、責任追及を回避するために証拠隠滅をはかろうと指示したものでした」
――第2次安倍政権では、公文書改ざんが明らかになりました。
「事実を正しく記録したものでなければならない。その公文書が偏っていたり、事実と違っていたりしたら、国民にも、対外的にも信用されなくなります。改ざんがいけないのは公文書に限ったことではありませんが」
――裏金問題といえば、派閥が解散に追い込まれた清和政策研究会(安倍派)は、そもそもお父さん(福田赳夫元首相)が田中派の金権体質への対抗軸として結成しました。清い政治が人民を穏やかにするという中国の故事「政清人和」から名付けられましたが。
「皮肉なものです。ちょっと脱線しますが、派閥がなくならないのは、派閥が大きくなると権力を握る力を持つことができる。その魔力のせいです。『数は力なり』。田中派がまさにそうでした。安倍政権も長期化し、派閥も100人規模になり、最大派閥として退陣後も人事などで政権に影響力を持ち続けた。その結果、官僚にも忖度(そんたく)という力学が生まれやすくなった。派閥が肥大化する大きな弊害の一つはそこにあります」
「官僚は、上から評価してもらうため、自らの身を守るために忖度して行動しがちです。内閣人事局ができたことで官僚に対する官邸の人事権が強まったこともその傾向を強めています。文書改ざんは過度に忖度したということでしょう。そこには政権が強力で長続きしそうだという判断も恐らくあったと思います」
「政治家が常に心しなければならないのは、権力行使は最低限にとどめなければいけないということです。権力者が長くその地位にとどまることは、決して好ましいことではない。そのことを政治家が自覚すべきです。官僚機構も同じです。要職に長くとどまると、新たな権力構造が生まれやすくなります」
――権力は腐敗すると。
「腐敗しがちだということです」
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――5年後に新しい国立公文書館が国会前庭に開館予定です。公文書が正しく運用されるために、最も重要なことは何ですか。
「何といっても中立性、公正性が大事です。時の政権の意向を忖度したり、偏った記録を保存したりしては、正しい歴史の記録の集積になりません。軟弱地盤にコンクリートの建物をたてるようなものです。国民にも間違った国家観や歴史観を植え付けてしまう。対外的にも国家としての信用を失います」
「歴史認識の問題にしても、日本にとって不都合な事実も事実として認めなければいけない。そのためには事実に即した資料は記録を収集し、公開することが欠かせません。国民が自分の目で見て歴史を正しく判断する。そのためのデータを提供するのが公文書館の使命です」
「中立性、公正性を保つには、公文書館は内閣から独立した存在にすることも改めて考えるべきでしょう。内閣だけでなく、三権に対して強い権限を持つ必要があります。たとえ政府や国家にとって都合が悪いことでも、事実を記録して公開する。それが国家としての信頼につながります。そのためには、政治を介入させないことが何より重要です」
――公文書管理が健全に機能するために、メディアが果たすべき役割については。
「公文書は何のためにあるのか。公文書というと、国民からはどこか遠いもののように感じてしまいがちですが、自分たちの国がどう形作られているのかを示すのが公文書です。公文書館には国の歴史が蓄積されています。新館建設の意義を広く伝え、利用を呼びかけていただきたい」
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ふくだやすお 1936年生まれ。父・赳夫氏(元首相)の秘書を経て90年に衆院初当選。森・小泉両内閣で官房長官を務め、2007~08年に首相。日本インドネシア協会会長。
■公開前提、行政の意識改革を 歴史学者・瀬畑源さん
国民共有の知的資源で、現在及び将来の国民に説明する義務が全うされる。それが公文書管理法の立法趣旨です。しかしその趣旨に沿わない運用が目立ちます。関連資料を残さなかったり、保存期間にばらつきがあったり。政治家への事前説明の記録も職員の個人的メモとして公文書としない。放送法をめぐり、当時の高市早苗総務相らへの説明だとする記録が国会で問題になりました。高市氏は怪文書扱いしましたが、こういう記録こそ公文書とするべきです。
長野県公文書審議会の委員をしていますが、長野県では知事へのレク資料や知事からの指示内容も公文書として保存し、情報公開の対象に変えました。このような資料は政策の決定過程を知るうえで欠かせないものです。
ただ、何より重要なのは公務員の意識が変わることです。そもそも行政の内容は原則として公開される前提で適正に記録、管理されるべきものです。そのための組織と運用に変わっていくことによって、国民から信頼されるものになるはずです。そのためには政治の主導が欠かせません。長野の場合も知事が決断したからこそ職員がついてきたわけです。
国民の知る権利を侵す恐れがある特定秘密保護法との関連も注意すべきです。同法の運用を監視するために国会に情報監視審査会があります。その活動によって、特定秘密を指定されたにもかかわらず、文書が存在しないものがあることが明らかになりました。行政側は文書は存在しないが、知識として存在するなどと説明していますが、これはおかしな話です。
保護法には情報漏洩(ろうえい)に関する罰則が規定されていますが、文書などの証拠がなくてどう立件するのか。特定秘密が解除されないままに廃棄されるケースもあります。また、解除されて一般の行政文書として保管された場合、どの情報が特定秘密だったかが情報公開で特定できるかどうかは不透明です。これでは機密に指定したことの妥当性が検証できません。
審査会は特定秘密の閲覧を要求する権利はありますが、行政側に拒否権があります。まず審査会の権限を強めることこそが監視の実効性を高めるカギになります。
(いずれも聞き手・喜園尚史)
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せばたはじめ 1976年生まれ。龍谷大学准教授。専門は象徴天皇制、公文書管理。著書に「公文書問題 日本の『闇』の核心」など。