早朝の山に降る雨は、夏とは思えないほど冷たかった。緑の木々から落ちる水滴がパシパシと音をたてて帽子を打つ。寒さで体が震えた。諦めて帰るか。もう少しねばるか。山道にひとり、立ち続けた
▼1990年8月、520人が亡くなった日本航空123便の墜落事故から、ちょうど5年後のことだ。墜落現場である群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に私はいた。入社半年の新人記者だった。事故で家族を失った生存者の女性が人目を避け、ひそかに慰霊に来ると聞いて、待っていた
▼少し雨が弱まったかと思ったときだ。目の前に登山服姿の数人が現れた。近づこうとすると「やめろ」。日航社員の男性に阻止され、怒鳴られた。「この人はとても悲しい思いをした。なぜ、悲しみを増やすんだ」。怒りに血走った目だった
▼私も必死だった。航空会社こそ、不幸を生んだ元ではないか。悲劇を繰り返さないためにも取材させて欲しい。青臭い言葉が出かかったとき、ちらりと女性がこちらを見た。ドンッと、体ごと吹き飛ばされた気がした。何とも言えぬ、苦しみに満ちた目がそこにあった
▼あれから幾度となく思い出し、いまも自問を続けている。お前の取材は、誰かを悲しませていないか、それでもするべき取材なのか、と▼「尾根はたくさんの涙を受け止めて、優しい山になった」。遺族のそんな言葉を本紙で読んだ。なぜか、涙が止まらない。先週、33年ぶりに御巣鷹に登った。誰もいない尾根に立ち、深く頭(こうべ)を垂れた。