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「人間の自由」と社会主義・共産主義――『資本論』を導きに 2024年5月18日(土)

2024年5月18日(土)

「人間の自由」と社会主義共産主義――『資本論』を導きに

学生オンラインゼミ 志位議長の講演(4)

第三の角度――発達した資本主義国での巨大な可能性

Q26「利潤第一主義」がもたらすのは害悪だけなのでしょうか?

資本主義の発達は、新しい社会に進む客観的条件と主体的条件をつくりだす

 中山 続いて第三の角度――発達した資本主義国の巨大な可能性に進みます。

 日本共産党の大会決議は、発達した資本主義の国から社会主義共産主義をめざす社会変革について、「人間の自由」という点でも、はかり知れない豊かな可能性があると言っています。

 ここでまずうかがいたいのは、さきほど「利潤第一主義」が大きな害悪をもたらすという話をされましたが、「利潤第一主義」がもたらすのは害悪だけなのでしょうか。もしそうならば、資本主義が発達すればするほど、社会が発展する展望がなくなってしまうと思うけれど、いかがでしょうか。

 志位 「利潤第一主義」がもたらす害悪はお話しした通りですが、もたらすのは害悪だけではありません。マルクスは物事をとらえるときに、あらゆるもののなかに積極的な側面と否定的な側面の両方を見ました。「利潤第一主義」にもそういうところがあります。「利潤第一主義」がもたらすのは害悪だけではなくて、マルクスは『資本論』で、資本主義の発達が、新しい社会に進む客観的条件、および主体的条件をつくりだすということを、さまざまな形で明らかにしています。

 まず、「利潤第一主義」は、資本を「生産のための生産」にかりたてるわけですが、そのことによって労働時間短縮の土台となる高度の生産力をつくりだすなど、未来社会を支えるさまざまな物質的な条件をつくりだしていきます。つまり新しい社会の客観的条件をつくりだします。

 もう一つは、「利潤第一主義」がもたらすいろいろな害悪に立ち向かうなかで、労働者、人民大衆は、自分たちの生存を守るための闘いを発展させ、新しい社会を担う主人公として成長していきます。つまり新しい社会をつくる主体的条件がつくりだされていきます。客観的にも主体的にも、「利潤第一主義」というのは、資本の意にも反して、新しい社会を準備していくことになります。

 マルクスは、1846年12月、ロシアの著述家・アンネンコフにあてた手紙で、自分たちが到達した社会観――「史的唯物論」の体系的な解明を行っています。マルクスエンゲルスとともに執筆したドイツ・イデオロギー』(1845~46年)は、史的唯物論の土台を仕上げたものでしたが、この労作は刊行されませんでしたから、誰にも知られていません。史的唯物論の社会観を、第三者に対して最初に述べたのはアンネンコフへの手紙でした。

 この手紙のなかで、マルクスは、人類の歴史とは何かについて、とても深いことを言っています。人類の歴史的発展というのは、先行する世代によって獲得された達成――生産力の一定の発展、それに対応した生産における人と人との関係(生産関係)、さらにそれに対応した政治形態などを、後続の世代がその限界や制限を乗り越えて発展させることで、形成されてゆく。あれこれの「普遍的な理性や神」から、新しい社会がつくられるわけではない。また人間は、あれこれの社会形態――経済的発展の形態を選択する自由があるわけでない。これまでの世代がつくってきた現実の社会形態の達成を土台にして、後続の世代がそれを発展させることによって、人類の歴史的発展というものはつくりだされていく。こういう歴史観、社会観を語っています。

 マルクスは、こういう立場を終生にわたって貫き、発展させました。この立場にたって、資本主義から社会主義共産主義への発展について、考えていきたいと思います。

Q27資本主義の発展のもとでつくられ、未来社会に引き継がれるものをお話しください。

資本主義がつくりだす「五つの要素」――「継承」とともに「発展」させる

 中山 資本主義の発展のもとでつくられ、未来社会に引き継がれるものというのは具体的には何なのでしょうか?

 志位 私たちは、2020年の日本共産党第28回大会で一部改定した綱領で、資本主義の高度な発展そのものが、その胎内に未来社会に進むさまざまな客観的条件、および主体的条件をつくりだすこと、それらは生産手段の社会化を土台にして、未来社会に継承し、発展させられることを、「五つの要素」を列挙して明らかにしました。パネルをご覧ください。(パネル22)

未来社会に継承・発展させられる「五つの要素」

1、高度な生産力

2、経済を社会的に規制・管理する仕組み

3、国民の生活と権利を守るルール

4、自由と民主主義の諸制度と国民のたたかいの歴史的経験

5、人間の豊かな個性

パネル22

パネル22

 発達した資本主義国で社会主義の道に進む場合には、これらの「五つの要素」がすでに豊かな形で発展しています。それらをすべて継承し、さらに発展させて、新しい社会を建設することができます。大会決議が、「人間の自由」という点でも、「はかり知れない豊かな可能性がある」とのべたのは、そういう展望を踏まえてのものです。

 今日は、未来社会に進む場合に、「五つの要素」をただ「継承」するだけではない。「発展」させることになるということにも、一つの力点を置いて話したいと思います。

 中山 「発展」をキーワードにということですね。

 志位 ええ。資本主義の成果を「継承」するだけだったら、社会主義に進む必要はどこにあるのかということにもなる。社会主義ならではの「発展」にも焦点をあてて話していきたいと思います。

Q28「高度な生産力」の大切さはわかりますが、生産力って害悪をもたらす面もあるのでは?

問題は「資本の生産力」――未来社会における生産力は豊かな新しい質を持つ

 中山 それでは、一つ一つについてうかがいます。第一の要素――高度な生産力が引き継がれるということはわかりますが、生産力って害悪をもたらすというイメージもありますが、どうなのでしょうか?

 志位 ここで、生産力についてそもそもから考えてみたいと思います。

 まず生産力そのものは、未来社会をつくる物質的な土台になります。マルクスは『資本論』で、資本は、最大の利潤をくみあげるために、容赦なく人類を強制して、「生産のための生産」をさせ、未曽有の生産力の発展をもたらし、それによって未来社会の「唯一の現実的土台となりうる物質的生産諸条件を創造する」と言っています。

 さきほど、「人間の自由で全面的な発展」のための根本的条件は、労働時間の抜本的短縮だということをお話ししました。労働時間の抜本的短縮を実現しようとすれば、高度な生産力は不可欠の条件となります。さらにそれは、できるだけ短い労働時間で、できるだけ豊富な物質的な富をつくりだす条件となるでしょう。発達した資本主義国では、未来社会の物質的な土台となる高度な生産力がすでにつくられていて、これを生かして前に進むことができることを、まず強調したいと思います。

 そのうえで同時に強調したいのは、未来社会――社会主義共産主義社会は、資本主義のもとでつくられた高度な生産力を、ただ引き継ぐのではなく――「利潤第一主義」に突き動かされて「生産のための生産」に突き進んだ資本主義社会のような、生産力の無限の量的発展をめざすものでなく――、新しい質で発展させるものとなるだろうということです。

 そもそも生産力とは何かを考えますと、生産力とは、本来は、人間が自然に働きかけて、人間にとって役に立つものを生み出すための人間的な能力です。本来、生産力というのは「労働の生産力」なのです。ところが資本主義社会のもとでは、「労働の生産力」が、資本の支配のもとに置かれてしまって、あたかも「資本の生産力」であるかのように現れます。そして搾取を強化したり、自然を破壊する力をふるってくる。未来社会に進むことによって、生産力は「資本の生産力」から抜け出して、本来の人間的能力としての「労働の生産力」の姿を取り戻すことになる。これが私たちの展望です。

 私は、未来社会における生産力は、次のような豊かな新しい質をもつものとして発展させられるだろうと考えます。少なくともということで3点ほど言いたいと思います。パネルをご覧ください。(パネル23)

未来社会における生産力の新しい質

1、「自由な時間」をもつ人間によって担われる

2、労働者の生活向上と調和した質をもつ

3、環境保全と両立する質をもつ

パネル23

パネル23

 第1は、生産力が、「自由な時間」をもつ人間によって担われることになるということです。つまり生産力の主体となる人間が変わります。マルクスは、『資本論草稿』のなかで、「自由に処分できる時間」を持つ人間の労働時間は、労働するだけの人間の労働時間よりもはるかに高度な質をもつと言っています。また「自由な時間」の増大は、その持ち手をこれまでとは違った主体に転化し、最大の生産力となるという言い方もしています。「自由な時間」を持つ人間――全面的に発達した人間によって担われる生産力は、より高い質をもつことになるでしょう。それは人間にとって必要な物の豊富さを、より短い時間で生産することを可能にするでしょう。

 第2は、労働者の生活向上と調和した質をもつことになるだろうということです。「資本の生産力」のもとでは、生産力の発展は、一方で社会の発展をつくりだしますが、つねに労働者の搾取の強化の手段ともされます。たとえばAI(人工知能)は、それ自体は、社会の進歩のために活用することができますが、同時に、市民や企業を米国企業の独占体制に従属させ、労働者の失業を増大させるなどの問題点も指摘されています。未来社会に進むことによって、「資本の生産力」によってもたらされている生産力の労働に対する敵対的な性格はなくなるでしょう。つまり労働者の生活の向上と調和した質をもつことになることが展望できるのではないでしょうか。

 第3は、環境保全と両立する質をもつことになるだろうということです。さきほど未来社会に進むことで資本主義固有の「大量生産・大量消費・大量廃棄」などの浪費がなくなるという話をしました。浪費がなくなることは生産力の質を豊かなものへと大きく高めることになるでしょう。その量がたとえ少なくなっても、質も含めた生産力の全体はより豊かなものになるでしょう。また、さきほど「あとの祭り」の経済から抜け出すという話をしました。社会的浪費を一掃し、「あとの祭り」の経済から抜け出して、「祭り」の前に「社会的理性」が働くような社会に発展することで、生産力は環境保全と両立する質をもつようになるでしょう。

 中山 なるほど。悪いのは生産力ではなくて、「資本の生産力」なのですね。

 志位 そうですね。悪いのは生産力一般ではなくて、「資本の生産力」が問題なのです。マルクスは、「資本の生産力」に対しては、一貫して厳しい批判者でした。「資本の生産力」から抜け出して、本来の人間的能力としての「労働の生産力」の姿を取り戻していこう。これが私たちの展望です。

Q29「経済を社会的に規制・管理する仕組み」とはどういうことですか?

マルクスは信用制度・銀行制度が、「有力なテコ」として役立つと強調した

 中山 第二の要素――「経済を社会的に規制・管理する仕組み」、これはどういうことでしょうか?

 志位 マルクスが、資本主義から社会主義に引き継ぐべき要素として考えたのは、生産力だけではありませんでした。資本主義経済の発展のなかでは、経済全体を管理する一定の形態がつくられてきます。マルクスはそこに注目して、そうした経済形態をテコにして、より高度な経済体制――社会主義の体制にむかって前進するという構想を、『資本論』のなかで展開しています。

 この点で、マルクスが注目したのは、信用制度・銀行制度でした。この制度が資本主義経済の発展のなかで高度な発展をとげることが、社会主義に移行する時期に、「有力なテコ」として役立つとのべています。

 中山 どういうことでしょうか。

 志位 ここに大銀行の帳簿をもってきて、それを見たとします。そうしますと、その銀行がどこから資金を調達しているのかがわかります。どこに資金を貸し出しているのかもわかります。さらに、日本の巨大銀行の帳簿のすべてを、ここにもってきて見たとします。そうしますと、日本の工場や土地や機械――生産手段のありようも社会的な規模で見えてくるでしょう。

 マルクスはそういうことをとらえて、未来社会――社会主義共産主義への移行のさいに、すなわち「生産手段の社会化」のさいに、銀行制度・信用制度が「有力なテコ」の一つになると考えたのです。資本主義の胎内で生まれる手がかりをすべて活用して前に進むというのは、マルクスの一貫した考えでした。

 同時に、マルクスは『資本論』のなかで、資本主義のもとで、銀行制度・信用制度が、詐欺と賭博とペテンを生み出すことを痛烈に批判しています。なぜならば、銀行資本というのは、自分のカネでもうけるのではない。他人のカネでもうけることを特徴とするからです。産業資本だったら自分でかせいだカネでもうける。銀行資本の場合は他人から預かったカネでもうける。そのために過度な投機などにブレーキがきかなくなる。

 未来社会に進むことによって、他人のカネで無責任なもうけ仕事に精を出すというような、詐欺と賭博とペテンはなくなって、信用制度・銀行制度は、純然たる「経済を社会的に規制・管理する仕組み」として働くようになるだろうというのが、私たちの展望です。

 ただし、いま問題になっているカジノは、これとも次元を異にしています。カジノは、他人のカネでもうけるだけではない、他人の不幸でもうけるものですから。これは資本主義のもとでも絶対に許してはならないということを言いたいと思います。

 さきほど生産手段が生産者の共同体である社会の手にうつった未来社会では、生産の意識的計画的管理が初めて可能になるというお話をしました。どうやって生産の意識的計画的管理を行うかというのは、未来の世代の大きな探求と開拓の課題になってくるでしょうが、そのさいに資本主義の発展のなかでそれをすすめる「有力なテコ」がすでにつくりだされており、それを生かして前に進むことができるということは間違いなく言えると思います。ここにも「はかり知れない豊かな可能性」があるといえるのではないでしょうか。

Q30「国民の生活と権利を守るルール」も未来社会に引き継がれていくのですか?

引き継がれるだけでなく、搾取をなくすことでうんと豊かになる

写真

(写真)学生オンラインゼミで質問にこたえる志位和夫議長=4月27日、党本部

 中山 つづいて第三の要素に進みたいのですが、「国民の生活と権利を守るルール」、これも未来社会に引き継がれていくんですか?

 志位 引き継がれるだけでなく、うんと豊かになるでしょう。

 ここで、私たちが「国民の生活と権利を守るルール」と呼んでいるのは、労働時間の抜本的短縮をはじめ人間らしく働くことのできるルール、人間らしい暮らしを支える社会保障、十分な教育をだれもが平等に受けることができる制度、中小企業や農林水産業を経済を支える根幹・背骨として大事に発展させる仕組みをつくること、そしてジェンダー平等社会の実現など、いま私たちがとりくんでいるたたかいの課題そのものを、「国民の生活と権利を守るルール」という言葉で示しています。これらは、どれもが資本主義の枠内で実現すべき課題ですけれども、その成果の多くは未来社会にも引き継がれていくだろうというのが、私たちの展望です。

 同時に、ここでも強調したいのは、引き継がれるだけではなくて、豊かに発展するということなんです。さきほどお話ししたように、社会主義的変革の中心は、「生産手段の社会化」によって人間による人間の搾取をなくすことにあります。搾取をなくすということは、「国民の生活と権利を守るルール」という面でも画期的な豊かな展望を開くことになると思います。

 労働時間の短縮は、資本主義のもとでの労働者のたたかいの最も重要な課題の一つであり、現に一歩一歩、労働時間の短縮がかちとられつつあります。同時に、社会のなかで過度に労働させられる人と、働く力があるのに無為に過ごす人との対立があるかぎり、労働時間の短縮にはある制限があります。人間による人間の搾取をなくすことによって、資本によって横領されていた「自由に処分できる時間」を全面的にとりもどすことができるようになってこそ、労働時間の抜本的短縮――資本主義のもとでの制限を乗り越えた抜本的短縮への道が開かれることになるでしょう。

 それから搾取をなくすことで、生産者がつくった生産物の主要部分が生産者のものになってきます。資本主義のもとでは、一握りの資本家が巨大なもうけを独占しています。そのために社会全体でみても、いろいろな圧迫が起こります。たとえば社会保障や教育のために充てられる社会的な財源が圧迫される。それから不慮の事故や災害に備える社会的な財源が圧迫される。これはいま私たちが目にしていることです。もちろん資本主義の枠内でも、これらに充てる財源を増やしていくことは重要な課題ですが、未来社会に進んで搾取がなくなれば、社会保障や教育、事故や災害などに充てられる社会的な財源は、資本による圧迫から自由になって、はるかに豊かなものになるでしょう。

 こうして、「国民の生活と権利を守るルール」も、資本主義の発達のもとでの国民のたたかいによってかちとったすべての到達点を引き継ぐとともに、搾取をなくすという未来社会の大改革によって、はるかに豊かになるだろうという展望をもつことができると思います。

 中山 すべての人がはるかに豊かなものを享受できるようになるということですね。

 志位 そう思います。

Q31「自由と民主主義」についてのマルクスの立場、未来社会になったらどうなるのかについてお話しください。

自由と民主主義を守り、発展させることに、科学的社会主義の原点がある

 中山 すばらしいですね。それでは、第四の要素――「自由と民主主義の諸制度と国民のたたかいの歴史的経験」についてお聞きします。マルクスエンゲルスのそもそもの立場はどうだったのか、そして未来社会になった場合に、これらの制度がどうなるのかについて、お話しください。

 志位 まず、マルクスエンゲルスのそもそもの立場についてお話しします。マルクスエンゲルスが活動を始めたのは19世紀の前半ですが、この時代がどんな時代だったのかというと、民主主義は危険思想と思われていた。

 中山 民主主義が危険思想ですか?

 志位 イギリスのジェームズ・ブライス(1838~1922)という政治家で政治学者・歴史学者が、1921年に発表した著作『近代民主政治』のなかで、「1世紀前」の世界について描いています。「1世紀前」――1820年ごろは、スイスの一部の州以外にはヨーロッパには民主政治は存在しなかった。「70年前」――1850年ごろでも、「デモクラシーという言葉は嫌悪と恐怖をもよおさせた」と。

 中山 民主主義が「嫌悪と恐怖」とはびっくりですね。

 志位 いまから考えると、ほんとうにびっくりです。19世紀前半には、普通選挙権とそれにもとづく民主共和制の国は、ヨーロッパにはありませんでした。大西洋のかなたのアメリカだけだった。

 中山 そうなんですか。

 志位 そういう時代なんです。マルクスエンゲルスが活動を始めた時期は。

 民主主義の主張が文字通り「危険思想」扱いされていた時代から、マルクスエンゲルスは、出版・結社・集会の自由のためのたたかいを、労働運動の中心的な課題として一貫して重視してたたかい続けました。大月書店から発行されている『マルクスエンゲルス全集』の第1巻の巻頭に収録されているマルクスの最初の政治的労作は、「プロイセンの最新の検閲訓令にたいする見解」(1842年)と題するもので、プロイセンの検閲制度を痛烈に批判し、「検閲制度の真の根本的治療はその廃止にある」と訴えたものです。出版の自由を訴えた論文なのです。いわばここに、革命家・マルクスの「一丁目一番地」があったのです。

 マルクスエンゲルスは、人民主権の実現を主張し、普通選挙権とそれにもとづく民主共和制の実現のために一貫してたたかい続けました。マルクスは、アメリカのリンカーン(1809~65)が、1864年11月の大統領選挙で再選をかちとったさい、国際労働者協会(インタナショナル)の祝辞を起草し、そのなかでアメリカを民主主義の発祥の地として次のように特徴づけています。

 「まだ一世紀もたたぬ昔に一つの偉大な民主共和国の思想がはじめて生まれた土地、そこから最初の人権宣言が発せられ、一八世紀のヨーロッパの革命に最初の衝撃があたえられたほかならぬその土地」

 この地球上で民主共和制を初めて実現し、最初の人権宣言を発した土地として、アメリカに対する強い尊敬の気持ちを表明している書簡です。そういう立場で、終生、たたかいぬいたのがマルクスエンゲルスだということを強調したいと思います。

 日本でも、天皇絶対の専制政治が行われていた戦前の時期、民主主義は一番の「危険思想」とされていたではないですか。国民主権の民主主義日本をつくろうなどと言ったら、弾圧され牢屋(ろうや)に入れられてしまった時代です。そういう時代に、国民主権、民主主義、反戦平和の旗を命がけで不屈に掲げて頑張りぬいた唯一の政党が日本共産党であり、民青同盟の前身の共産青年同盟でした。

 このように、自由と民主主義を本気で守り、発展させるというところに、科学的社会主義の原点があるということを、まず強調したいと思います。

 自由と民主主義の諸制度は、資本主義のもとでの各国国民のたたかいで、豊かな発展をとげていくのですが、そのすべてを引き継ぎ、豊かに発展させ、自由と民主主義が本当に花開く社会をつくるというのが、私たちの確固とした立場だということを言いたいと思います。

 そのさい、ここでも引き継ぐだけではなくて、発展させるということを強調したいと思います。たとえば、日本の現実を見た場合に、憲法では言論・出版・報道の自由は保障されています。それでは巨大メディアの現状はどうなっているでしょうか。巨大メディアは権力の監視役という本来の役割を果たしているでしょうか。多くの場合には、そうは言えないという現状があることは否定できないでしょう。もちろんメディアのなかにも、良心と勇気をもって頑張っている人がたくさんいることを、私たちは知っています。同時に、巨大メディアがさまざまな弱点を抱えていることは事実であり、その根本には、巨大メディアの多くが、財界・大企業の強い影響下に置かれている、あるいはアメリカとの深い結びつきに置かれているという問題があることを指摘しなければなりません。

 これらの外的な制約は、資本主義のもとでもそれを打ち破り、言論・出版・報道の自由をかちとっていく努力が必要です。同時に、社会主義共産主義の社会に進むことによって、自由と民主主義は、そういう一切の外的な制約から自由になり、はるかに豊かになるということが言えると思います。

 日本共産党は、綱領で、「社会主義共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる」と国民に固く公約しています。

 中山 世界でも日本でも、自由と民主主義のために先駆的にたたかってきたのが共産主義者であり、科学的社会主義を掲げた人たちだった、それを将来にわたってもっと豊かに発展させるということですね。

 志位 その通りです。

Q32人間の豊かな個性と資本主義、社会主義の関係についてお話しください。

資本主義のもとで広がった「人間の個性」が、未来社会で豊かに開花する

 中山 それでは、最後の五つ目の要素です。「人間の豊かな個性」と資本主義の関係、人間の個性が未来社会でどうなるのかについて話してください。

 志位 マルクスは『資本論草稿』のなかで、「人間の個性の発展」という角度から人類史を3段階に概括する、すごい考察をしているんです。

 第1段階は、マルクスが「人格的な依存諸関係」と呼んだ社会です。原始共同体から奴隷制封建制までの社会です。原始共同体は、さきほどお話ししたように、生産力が低い水準ながらも、自由で平等な人間関係の社会でした。ただ個人は共同体の一部であって、本当の意味で独立した個性とはなりえないという限界がありました。それに続く奴隷制封建制のもとでは、奴隷や農奴は、支配階級によって人格がまるごと隷属化されました。奴隷制のもとでは、奴隷所有者によって、奴隷は物と同じように売買されました。封建制のもとでは、封建領主によって、農奴は人格的な隷属のもとに置かれました。

 そういう時代には、独立した個人、独立した人格、独立した個性は、社会的な規模では問題になりませんでした。ごく一部の支配階級のなかでは、さまざまな個性が生まれ、芸術や文化も生まれます。いま放映されているNHKの「大河ドラマ」――「光る君へ」では、紫式部が主人公です。この時代にも、そういう素晴らしい個性が生まれたけれども、彼女も下級ながら貴族階級に属しています。支配階級のなかでは、さまざまな個性が生まれて、文化や芸術も生まれた。しかし、大多数の抑圧された人々のなかでは、個性の豊かな発展は問題になりませんでした。

 第2段階は、マルクスが「物象的依存性のうえにきずかれた人格的独立性」と呼んだ段階です。これは資本主義社会のことです。資本主義は、「人間の個性」という点で、それまでの社会のあり方を大きく変えるんです。資本主義のもとでは、資本家と労働者は、法律的、形式的には平等になるでしょう。だから、そういうもとで初めて、独立した人格や、豊かな個性が、社会的規模で現実のものになります。「人間の個性」という点でも、資本主義は、未来社会の重要な条件をつくりだす歴史的な意義をもつことになる。マルクスはそういう捉え方をするんです。

 ただ同時に、ここでも強調したいのは、マルクスは「物象的依存性」という言葉で表現していますが、資本主義のもとでは、資本家と労働者は、形式的には平等になりますが、労働者は、実質的には資本家による搾取と支配のもとに置かれています。そのことは「人間の個性」の発展という点でもいろいろな制約をつくりだします。

 人間が人間を搾取するということは、人間のなかに支配・被支配の関係をつくります。つまり本当の意味での平等とはいえない関係をつくりだす。これがさまざまな差別をつくる根っこになり、「人間の個性」という点でも制約をつくりだします。

 たとえばジェンダー平等について考えてみましょう。いまジェンダー平等を求めるムーブメントが、日本でも世界でもすごい流れになって、「女性の世界史的復権」と私たちは言っているのですが、本当に希望ある流れが広がっています。ジェンダー平等は、資本主義のもとでも最大限に追求されなければならないし、資本主義のもとでも多くは実現可能だと思いますし、現にどんどん実現しつつあります。ただ同時に、私は、人類の社会が社会主義共産主義に進んで、人間による人間の搾取がなくなって、あらゆる支配・被支配の関係――権力関係がなくなって、差別をつくる根がなくなって、本当に自由で平等な人間関係がつくられてはじめて、ジェンダー平等も完全な形で実現するのではないか。こう思うんですよ。

 中山 ええ、ええ。そうですよね。

 志位 それから、もう一つ考えてみますと、人間が人間を搾取するもとで、何が奪われているか。さきほどお話ししたように、「自由に処分できる時間」が奪われている。そうしますと、そのことが「人間の個性」の発展という点でも、大きな制約になるじゃないですか。どんな個性でも、それを自由に伸ばそうとしたら、「自由に処分できる時間」が必要です。「自由な時間」が万人に保障される未来社会に進んでこそ、人間の自由な個性、豊かな個性が全面的に豊かに花開くということが言えるのではないでしょうか。

 中山 なるほど。「利潤第一主義」から解放された新しい社会というのは、本当にいろいろな意味で、呪縛を解き放って自由に発展できるんだなという可能性を感じます。

 志位 マルクスは『資本論草稿』で、第3段階を、「自由な個性」の段階と呼び、社会主義共産主義において、それが実現すると言っています。個人の自由な発展を最大の特徴とする社会、自由な意思で結合した生産者たちが共同で生産手段をもち、生産を意識的計画的な管理のもとにおく社会でこそ、本当の意味で「自由な個性」が実現する。これがマルクスがのべた展望でした。

Q33今のたたかいが未来社会につながっていると言えますね?

いくつかの段階をへながら、未来社会に地続きでつながっている

 中山 「五つの要素」についてお話ししていただいたんですけれども、すべて、今のたたかいが未来社会につながっているということが言えますね。

 志位 そうですね。「五つの要素」という整理をしてみますと、「今の私たちのたたかいが未来社会へと地続きでつながっている」ということがはっきり見えてきます。

 中山 地続きですね。

 志位 そうです。ただ地続きといっても平たんな道ではありません。そこにいたるには、社会を大きく変えるいくつかの段階が必要です。私たちがいま直面している変革の課題は、国民多数の合意で、「アメリカ言いなり」「財界中心」という異常なゆがみをただして、「国民が主人公」の民主主義日本をつくるということにあります。さらに、それをやりとげたあとで、これも国民多数の合意で、「生産手段の社会化」を中心とする社会主義的変革という大変革を行うことが必要です。このようにいくつかの段階を、国民多数の合意で一歩一歩進んでいくというプロセスが不可欠になりますが、「今のたたかいが未来社会に地続きでつながっている」ということは、うんと強調したいと思います。

 「五つの要素」のなかには、資本主義の発展のなかで必然的に生まれてくる要素もあります。第一の要素――「高度な生産力」、第二の要素――「経済を社会的に規制・管理するしくみ」は、資本主義の発展のなかで必然的に生まれてきます。

 しかし第三の要素――「国民の生活と権利を守るルール」、第四の要素――「自由と民主主義の諸制度と国民のたたかいの歴史的経験」、第五の要素――「人間の豊かな個性」、これらはどれも、最初から社会と人間に備わっていたわけではありません。そのすべてが労働者や国民のたたかいによってつくってきたものです。

 今の私たちのたたかいは、未来社会に地続きでつながっている。そういうロマンのなかに、いまのたたかいを位置づけて頑張りたいと思います。

Q34旧ソ連、中国のような社会にならない保障はどこにあるのでしょうか?

保障は、発達した資本主義を土台にして社会変革を進めるという事実のなかに

 中山 未来社会のイメージが膨らむ、とても豊かな内容を話してくださったんですけれども、それでもまだ不安という声があると思います。旧ソ連とか、中国というワードが結構出てきます。そういう社会にならないという保障はどこにあるのでしょうか?

 志位 そういうご心配はあると思います。ただ、いままでお話ししてきたなかに、回答はすでにあると思います。

 ソ連がなぜ崩壊し、中国でなぜさまざまな問題点が噴き出しているのか。直接の原因は、指導勢力の誤りにありますが、両者に共通する根本の問題があります。それは、「革命の出発点の遅れ」という問題なのです。言葉を換えて言いますと、いまお話ししてきた「五つの要素」――社会主義を建設するためには必要な前提が、革命の当初にないか、あってもたいへんに未成熟だった。

 たとえば生産力という問題を考えても、たいへんに遅れた状態からの出発になりました。1917年のロシア革命の場合、革命を指導したレーニンは、「共産主義とはソビエト権力プラス全国の電化だ」と言う言葉を残しています。つまりまだ電気が通っていないところから経済建設を始めなければならなかった。そうした遅れた状態からの出発が、いろいろな困難をつくりだしました。そのなかで社会主義への道から決定的に逸脱した強制的な農業集団化という誤りに陥り、大量弾圧という深刻な誤りを引き起こし、社会主義とは無縁の体制に落ち込んでいきました。

 自由と民主主義という点でも、ロシアはどうだったかというと、革命前は、ツァーリと呼ばれた専制君主が国家の全権力を握っていて、人民には何の権利もない。議会もあるにはあったけれども形ばかりのもので何の権限もない。中国はどうだったかというと、中国の場合は1911年から12年に辛亥革命が起こり、形のうえでは民主共和制になるわけですが、軍閥が割拠している、日本が侵略するもとで、議会は存在しませんでした。そういう自由も民主主義も未発達な状態からロシアも中国も出発したわけですから、革命後、自由と民主主義の制度をつくる特別の努力が指導勢力には求められたのですが、それが十分になされませんでした。旧ソ連では、大量弾圧が引き起こされて、一党制が固定化されました。

 人間の個性という点はどうでしょうか。人民がどれだけ文字を読み、理解し、書くことができたか。識字率は、ロシア革命の場合、革命直後の数字で32%という数字が記録に残っています。およそ7割は字が読めないわけです。中国革命の場合、革命直前の数字で17%、8割以上は字が読めなかったと推定されています。ここから出発したわけですから、これが、「人間の個性」の発展という点での大きな障害になったことは明らかだと思います。

 この点で、私たちの住む日本はどうかといったら、まったく条件が違うじゃないですか。資本主義が発達したもとで、国民のたたかいともあいまって、さきほどのべた「五つの要素」が豊かに発展しています。もちろん、逆行や制限もあります。しかし、ロシアや中国の出発点に比べれば、比較にならない高い到達点といえます。それらをすべて生かし、発展させて未来社会を建設することができるわけです。

 日本の社会主義共産主義の未来が、自由のない社会には決してならないという最大の保障は、発達した資本主義社会を土台にして社会変革を進めるという事実そのもののなかにあります。ですから、どうかこの点ではご心配なく、ということを言っておきたいと思います。

 中山 なるほど。事実の中に回答があるというのは、とても説得力がありますね。

Q35発達した資本主義国から社会主義に進んだ例はあるのですか?

豊かで壮大な可能性に満ちた、人類未踏の新しい事業への挑戦

 中山 それでは最後の質問になるんですが。

 志位 最後になりましたね。

 中山 35問目です。発達した資本主義国から社会主義に進んだ例はほかにいままであったんでしょうか。

 志位 ないんです。

 中山 ないんですね。

 志位 発達した資本主義国から社会主義への前進に踏み出したとりくみというのは、人類の誰もやったことがない。最初の一歩を踏み出した経験もない。人類未踏のまったく新しい事業への挑戦になります。

 どうしてそれがないかというと、発達した資本主義国では、新しい社会へ進むためのいろいろな豊かな条件がつくりだされているわけですが、新しい社会に進むうえでの特別の困難もあるからです。資本主義が発達しますと、この体制の矛盾が深まっていきますが、同時に、この体制を延命するためのいろいろな仕掛けも発達してきます。さきほどのべた巨大メディアなどもその一つです。

 同時に、そこには豊かで壮大な可能性があるということは、これまでお話しした通りです。資本主義の発達のもとで私たちが手にしたすべての価値あるものを引き継いで、豊かに発展させ、花開かせる社会が、私たちの目指す未来社会ですから、まさに豊かで壮大な可能性に満ちた社会といっていいでしょう。

 私たちは綱領に次の言葉を書き込みました。

 「発達した資本主義国での社会変革は、社会主義共産主義への大道である」

 ここに大道があります。ですから、この日本でやろうじゃないかということを、私は、若いみなさんに訴えたいと思います。

 まずは、「アメリカ言いなり」「財界中心」の異常なゆがみをただす民主主義革命をやりとげて、その先には、国民みんなの合意で、誰も踏み出したことのない未来社会への道を、ともに開こうではないかということを、訴えたいと思います。

 ぜひ若いみなさんが、先頭に立って切り開いてほしい。私たちの世代では、日本の未来社会――社会主義共産主義社会までは見ることができないかもしれないけど、みなさんの世代では、見ることができる可能性は大いにあると思います。ここまで資本主義が行き詰まっているのだから、社会を大本から変えていく変革にまで進む可能性は大いにあります。ぜひ若いみなさんが先頭に立って、誰もまだ踏み出したことのない道を踏み出してほしいということを訴えて、終わりにしたいと思います。

 中山 志位さん、35の質問に回答していただき、ありがとうございました。本当に充実した内容で、いままでみんなが思っていた社会主義共産主義に対する誤解とか不安とか、そういうものもガラリと変えて、とても積極的な内容をもつものとして、イメージできたんじゃないかなと思います。

 志位 ありがとうございます。そうなったら、こんなにうれしいことはないです。きょう話した話は、難しいこともあったかもしれませんが、この話を、みなさんが学習をすすめる何らかのきっかけになればと願わずにはいられません。

 中山 ありがとうございました。

 志位 ありがとうございました。(つづく)

 (第5回は20日付に掲載)