徒然なる儘に ・・・ ⑤

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(社説)深まる政治の危機 信を失う国民感覚とのずれ 社説 2024年6月22日 5時00分

 自民党の派閥の裏金問題が表面化した後、初めて迎えた通常国会が事実上閉会した。

 自民党のみならず、政治全体に向けられた国民の不信を払拭(ふっしょく)できるかどうかが問われたが、実態解明も政治資金改革も中途半端に終わった。

 国の行方や国民生活に直結する法案の審議が尽くされず、疑問点を残したまま、成立する場面も多かった。

 岸田首相も国会も、国民の負託に応えたとは言えない。このまま信頼を取り戻せなければ、日本の民主主義の基盤を掘り崩しかねない。政治の危機は深まるばかりだ。

 

 ■「裏金」幕引きならぬ

 裏金問題でまず求められたのは、その実態をつまびらかにすることだった。だが、自民は第三者による独立した調査は行わず、幹部による聞き取りは通り一遍で、使途の解明も不十分だった。

 衆参の政治倫理審査会に安倍派の幹部が出席したが、その時の説明に疑いがあることが、国会最終盤になって浮上したことは見過ごせない。

 いったん廃止を決めたパーティー券収入の還流を続けることにした経緯について、安倍派の事務局長が公判で「幹部会議で継続が決まった」と述べたのだ。「結論は出なかった」と語った幹部3人との食い違いは明らかだ。

 首相自ら行った森喜朗元首相への電話調査が形だけだったことは、後に森氏が月刊誌で暴露した。真相にふたをしたまま、制度改革の議論に目先を移したというほかない。

 関係者への責任追及も、おざなりだった。衆参の政倫審が、裏金を受領した議員計73人の審査を自民を含む全会一致で議決したのに、誰ひとり出席に応じなかった。

 次期衆院選への不出馬を理由に処分を免れた二階俊博元幹事長は、その地盤を三男に譲る。3千万円近い不記載で「党の役職停止」となった萩生田光一政調会長は、地方組織は別だとして、東京都連会長を続けている。

 自民の「反省」が本物か、疑わざるを得ない。今国会で「幕引き」は許されない。

 

 ■国会の空洞化を懸念

 改正政治資金規正法は成立にこぎつけたが、国民が望む抜本改革とはかけ離れたものだ。さまざまな抜け道が残り、今後の検討次第で実現が不確かなものも多い。政策活動費のブラックボックスぶりも、当面は温存される。

 利益誘導につながりかねないと、国民から疑いの目で見られている企業・団体献金の見直しやパーティーの規制には、徹頭徹尾応じなかった。

 「民主主義にはどうしてもコストがかかる。将来に禍根を残す改革は断固避けなければならない」。自民の麻生太郎副総裁の言葉が、党内の本音を代弁しているのだろう。

 「カネをかける政治」を前提に、資金集めに勝る政党や政治家が力を持ち、そのうえ透明化を拒んで、その使途を国民がチェックできない。そんな政治をいつまで続けるつもりなのか。国民感覚とのずれは明白だ。

 今国会で、裏金問題を受けた政治改革に与野党が注力したのは当然だが、一方で、国民の権利や生活に大きな影響を与える法案審議の形骸化が進んでいるのではないかとの懸念がぬぐえない。

 その根本には、政府が法案に盛り込む内容を限定し、具体的な事項を法制定後に政府が決める政省令やガイドラインにゆだねる手法が近年、増えていることがある。国会審議の段階で政府が説明を避ける大義名分になっている。

 

 ■首相が再選望むなら

 今国会でも、経済安全保障に関する重要情報の取り扱いを、国が認めた人に限る「適性評価制度」を導入する法律や、非常時に国が自治体に対応を指示できるようにする改正地方自治法、仕事で子どもと接する人の性犯罪歴の確認を事業者に義務づける「こども性暴力防止法」などで、こうした傾向が目立った。

 制度の根幹にかかわり、政府の恣意(しい)的運用のおそれがある部分をあいまいにしていては、禍根を残す。立法府の行政監視機能を立て直すには、政府が姿勢を改めるとともに、野党の力量が試される。

 衆院解散のないまま、通常国会が終わることで、政界の関心は秋の自民総裁選に向かう。内閣支持率は最低水準にとどまり、首相の党内の求心力低下は著しい。それでも首相が再選をめざすなら、信頼回復と内政外交の諸課題に、国民の納得のいく結果を積み重ねる以外に道はない

 首相はゆうべの記者会見で、「政治改革に終わりはない」と述べた。検討事項として先送りした課題にただちに取り組まずして、その言葉を信じるわけにはいかない。

 今国会では、盛山正仁文部科学相の世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との接点も取り上げられた。自民と教団の関係の解明は不十分なままで、「決別」の実態には、なお目をこらす必要がある。

 教団とのつながりも、裏金問題も、時間がたてば国民は忘れると思っているわけではあるまい。体質そのものが問われていることを、自民は深く自覚すべきだ。