徒然なる儘に ・・・ ⑤

心機一転、新たにブログ再開です💕 雑談を書くことも多いですけれど・・・(主に、電子ゲーム・ネタ💕)、残りは【新聞記事】にコメントを入れています💕

元コマツ社員が語る、コマツ社会とは❓コマツ人はコマツ社会以外不明、特に山田荘一氏のようにコマツの現場以外知らぬ人間はコマツが倫理的に正しいことへの疑いが起きない、哲学不在人材であるという、他社の企業人との比較対象がないので、自己が独善的な人材であるという自覚がまるでない、当時43歳の主任!

日本は益々米国に接近していくとこの先も想えます。

免罪符という意味が宗教上の善人・悪人という意味ではなく・・・

刑法を巡って、カネの量の多寡で、免罪符となる傾向は益々強まっていくと予言

日本は米国のように、宗教が一般には盛んな国家ではなく、恐らく、日本以上に米国では不条理が多いのでしょうね。

日本は宗教は社会的に断罪する対象として、宗教があるようなので・・・。

結局、不条理ということの意味が運命を感じて、宗教上の試みから納得せずとも、天命とか宿命と悟って、

諦める(明らかにする)

という試みは起きにくいでしょうね。

結局、刑事罰の刑の量刑も、金銭で裁判員を事前に買収し、買収する側も検挙に至れば、確率的に運が悪かったとの解釈しか起きなく、刑事罰に手を染めてしまった被告側も自分の犯罪心理性というものを科学的には分析為さるのであろうが、先ず、宗教的な試みで自己の精神状況というものにメスを入れることはしないであろう。

日本人は、科学的証左は鵜呑みにする傾向がどうしても根強く、犯罪発生率も確率論であり、進化論のみでの切り口からしか分析しないのも。

大學でも、宗教上での教育体系を御座なりにし、科学な根拠に対しては妄信的な思想体系が結局、何か被害に遭遇した場合、何かしらの天から働きかけがあったと、天命説・宿命説で、自身の不遇を諦めようとはせず、復讐鬼と化して、更なる惨状を社会に描くことに躊躇しえないという衝動を抑えられないのも、戦後教育の有り様が、その以前の日本社会の有り様とは、まるで異質な社会に、戦後教育の取っ掛かりがあるからである。

コマツ川崎OB会会長職 山田荘一氏を引き合いに出したが、倫理教育を施す幼少期にその人倫基盤の教育がないと、惡の程度加減に躊躇の姿勢が視えず、結局、自分に反論してくる方をただ目障りな存在として、敵視する以外、何ら山田氏一個人としての対策はないのだ。

詰まり、小松製作所の社員として、中等学校卒業時から約束されていた、氏にとって、氏の出処進退を巡って、コマツは必ず、自分が犯罪性を帯びた事件を勃発させようが、コマツという社が親代わりとなって、事件性として発展しないよう、詰まり、事件として、立件されないよう、警察に裏金工作して、立件阻止を謀ってくれるという担保をコマツに入社以来、氏にとって、永続的なコマツの保護下に自分があるという一種の親代わりの安心感とその氏の進退問題を巡って、身体安全保障が暗礁に乗り上げた経緯が一度もないので、93年次には、幾ら、犯罪性を帯びた、事件を裏金工作に依って、氏が社会人一年目、二から三年目に働こうが、事故としての処理すら、コマツがしないことは重々承知の上に山田氏の社内という密室空間で犯罪性を帯びた事件は確信的に起きたに相違ない。

じゃ