将棋の桂馬は変わった働きをする。8種類ある駒の中で唯一、目の前の駒を飛び越えて、その向こう側に進むことができる。ただし後戻りは不可だ。格言に「桂馬の高跳び歩の餌食」とあり、考えなしに飛び出せば痛い目に遭う。
▼一国のリーダーを駒になぞらえるのは気が差すものの、王将たる岸田文雄首相が見せる昨今の立ち回りは、桂馬のそれを思わせる。政治資金パーティー収入の不記載事件を巡っては、自民党派閥の存廃が議論を呼ぶ中、出身母体である宏池会を唐突に解散したのが記憶に新しい。
▼衆院政治倫理審査会では、自民5議員のうち何人かが全面公開に難色を示す中、自ら「マスコミオープン」での説明を申し出たのも驚きだった。根回しを飛び越えた観のある〝桂馬の跳躍〟は、成算あっての果断か、窮余の奇策か。どちらだろう。
▼国民は不信感を募らせ、内閣支持率の低迷も長い。首相が先兵として飛び出さざるを得なかった事情は分かる。率先して説明の場に立たねばならないはずの議員に、退路をふさぐ形で出席を同意させた点では面目を施したとみるべきかもしれない。
▼むしろ自民の組織統治に、「不全」の文字がちらつく一連の混乱である。きのうの政倫審に現職首相として初めて出席した岸田氏は「前例にとらわれないという決意だ」と述べた。政治資金の不正は遅くとも十数年前から続いてきたとされる。誰が。何のために。その使い道は。
▼知りたいことは山ほどある。岸田氏は「覚悟を背負っている」とも言った。空証文で終わらせず、形で示してもらいたい。ちなみに王将が自ら相手の攻めを受け止めることを「顔面受け」と呼ぶ。2日間の政倫審を終えた後、首相の顔はどうなっているだろう。