徒然なる儘に ・・・ ⑤

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「あなたの意見を聞かせて」 オッペンハイマーの国で被爆者は尋ねた 寺島笑花 小川崇2024年3月28日 7時30分

【A Scene】ラストメッセージ~海を渡ったナガサキの声 後編~

A Scene × Premium A × A stories 「Do you know Nagasaki?」

 2023年11月、原爆投下国である米国で被爆体験を伝えるため、海を渡った長崎の被爆者たち。だが、講演を続けながら、被爆者の三田村静子さん(82)は悩んでいた。ある公立高校では、口からガムを出して伸ばしたり、携帯をいじったりする生徒の姿が目立った。質問や感想を募っても反応はない。ある晩、メンバーにその悩みをぶつけた。「思いが伝わっていないんじゃないか」

 

 ツアーを発案した被爆者で医師の朝長(ともなが)万左男さん(80)は、「本音が聞けていないのではないか」。そう感じていた。

 渡米前の想定と違っていたことがあった。「反発の声」のなさだ。米国で被爆体験を語れば、日本軍の残虐行為や真珠湾攻撃を挙げて批判されることもあるだろうと覚悟していた。原爆を開発し投下した国。原爆使用は正当だったとする考え方が根強いと聞いていたからだ。

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教会で行われた講演会後、「一緒に平和を築きましょう」と言いアメリカ人夫婦と手を握り合う三田村静子さん(中央)=2023年11月8日、米ノースカロライナ州ローリー、竹花徹朗撮影

 たとえそうなったとしても、本音を語り合い、憎しみを超えて核廃絶をめざしたい。その思いを「Hope&Healing Tour」という名前に込めていた。

 しかし、聴衆からそんな厳しい意見をぶつけられることはなかった。むしろ、反応がないことがあった。

 被爆3世の川端亜希さん(51)は現地の大使館関係者からこんな声を聞いていた。「米国は本土が攻撃された経験が少なく、戦争で傷ついた市民の被害に注目が集まることが少ない。戦争を外からの視点で見てきた中で、被害者に出会い、体験を聞いて言葉にならなかったのではないか」と。

 だが、被爆2世の井原和洋さん(66)は、それだけじゃないと感じていた。「全然伝わっていないのはすぐ分かりました。伝え方を変えなければ駄目だと」

 ノースカロライナ州ローリー近郊の公立高校で歴史を教えるジャネット・スミスさんは被爆者の講演を聞いた後、「授業では、『原爆投下は戦争を終わらせる方法だった』という視点で語られることが非常に多い。被爆者の事実はアメリカでほとんど語られない」と話した。

 2023年夏に米国で公開された映画オッペンハイマー」も、科学者の苦悩は描かれている一方、被爆者の直接的な描写はほとんどなかった。原爆による放射線の影響や被爆者が直面した差別、貧困。原爆の被害に米国の市民が触れる機会は限られているという。

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会見に臨む長崎県被爆者手帳友の会の三田村静子副会長(左)と宮田隆さん=2023年10月31日、長崎市、竹花徹朗撮影

 ツアーに参加した被爆者は、日本でも修学旅行生らに体験を語ることがあるが、ほとんどの児童は「被爆者」を知っている。伝え方に悩むことはなかった。

 

 一日の講演を終えた後に開いていた反省会では、メンバーが口々に意見をぶつけた。

 自分たちは米国の市民にとって、初めて出会う「ヒバクシャ」かもしれない。突然講演を始めても、話を聞く心づもりができていないのではないか――。

 「丁寧にメンバーの紹介をした方が良い」

 「聴衆を引きつけるような前説が必要では」

 「ただ伝えるだけではなく、市民の考えが聞きたい」

 言葉の問題も改めて見直した。これまで、講演で使っていた英語は伝わりやすいものだったか。日常で使われていない、古い表現がなかったか。現地の支援者の助言を受けながら、作り替えた。

 

 メンバーは模索を続けた。

 

 3都市目のオレゴン州ポートランドに移動した日の夜、メンバーの一人が切り出した。

 「本当に世界を平和にしたいんだったら、対話の中で、我々が何を言いたいのか、何をしに来たのか伝えないといけない」

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大学で行われた講演を聴く参加者=2023年11月16日、米オレゴン州ポートランド、竹花徹朗撮影

 「『対話してきました』で満足ならそれは仕方ない。でもそうじゃないでしょう。悩みを伝えて、手を取り合って一緒に考えてほしいということを伝えて、そこからみんなに考えてもらわなければ」

 

 翌日から、講演の形は大きく変わった。

 ツアーをコーディネートした2世の井原さんが先頭に立った。

 ツアーやメンバーを紹介し、問いかけた。

 「被爆者を知っていますか」

 「彼らの話に耳を傾け、世界をよりよくするにはどうしたら良いか、共に考えましょう」

 

 ツアー最終盤、私立大での講演。立ち見が出るほど詰めかけたホールで、朝長さんが語りかけた。「2歳で被爆してから、その影響は生涯にわたって続いています」

 そして、学生たちに、あえて投げかけた。「核を開発したのは米国です。だから核時代を終わらせる責任がある。あなたたちの意見を聞かせてください」

 

 「ちょっと物議を醸すかもしれないけど」。メイ・ハートさん(22)が手を挙げた。「もし米国が核を放棄してしまったら、国際社会での役割が分からなくなってしまう気がする」

 スカイル・マーサーさん(24)は異なる考えを語った。「米国を特別な存在でなく、世界の一部として考えなければいけないと思う。我々が核兵器を廃絶しなければ、どの国も廃絶できない」

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短大での講演が終わった後に壇上から参加者と話す、被爆者で医師の朝長万左男さん(中央)=2023年11月9日、米ノースカロライナ州パインハースト、竹花徹朗撮影

 核保有を含む強力な軍事力が米国を米国たらしめてきた。だから、核を手放すことは難しい――。ハートさんはそう信じている。

 一方で被爆者の話を聞いて変化もあったという。「世界では紛争が続いていて、核が使われるかもしれない恐怖も感じた。時間はかかるけど、核をなくすためには核被害を話題にし続けなければならない。私も今日のことを両親に話します」

 

 朝長さんの顔には安堵(あんど)と達成感が浮かんでいた。「市民の意見を引き出すことが大切だと学んだ。米国の若者の多くは核廃絶を望んでいると思いました」

 被爆者の講演を聴いたポートランド州立大のケネス・ルオフ教授(日本近現代史)は、今回のツアーが、ガザ地区での軍事衝突のさなかに実施されたことに注目する。「戦争が正義か、正義であればどんな手段が正当化されるのか若い世代は自問している。これは核兵器について議論を広げる機会になる」と語り、「長期の視点で若い世代を中心に変わっていくかもしれない」と話した。

 

 三田村さんは、数年前に韓国に行ったときのことを思い出した。釜山市では、日本による植民地支配の歴史などを伝える「日帝強制動員歴史館」を訪れた。

 それまで、韓国での日本の加害の歴史について、詳しく知らなかった。「絶句したんですよ。私たちの話を聞いた米国の子どもたちも、あのときの気持ちじゃなかったんかな」

 知ることが最初の一歩だと、身をもって知った。

 だから伝え続けていく。

 「そして、相手が何を考えているのか聞かなくちゃね。それが大切だと、この旅で学びました」(寺島笑花、小川崇)